日韓演劇週間

<生きる>ことの考察

2013.9.11-9.16


出演

コルモッキル(韓国)


温泉ドラゴン(日本)


韓国の現代演劇を代表するパク・クニョンが主宰する劇団コルモッキルと、東京を中心に活動する若手劇団、温泉ドラゴンが「生きる」ことをテーマにぶつかり合う!



コルモッキル(韓国)

『鼠』

―人を殺めるにも順序と方法があるんだよ!―



作・演出:パク・グニョン
出演:キム・ジュホン 
ユン・ジェムン 
コ・スヒ
チョン・ヒジョン 
チョン・セラ
キム・ナムジン 
パク・ジェチョリ

温泉ドラゴン(日本)

『birth』

―お母さん・・・俺が生まれたときさ・・・嬉しかった?―



作・演出:シライケイタ

出演:筑波竜一 
いわいのふ健 
白井圭太 
阪本篤

公式サイト

劇評

温泉ドラゴンの魅力――下降する意志

西堂行人(演劇評論家・日韓演劇交流センター副会長)

昨年、上野ストアハウスで上演された温泉ドラゴンの『Birth』は、出色の面白さがあった。作・演出のシライケイタは今注目の劇作家の一人であり、役者としても魅力的だ。
この作品には、独特のハードボイルドな感覚が漲っている。都会から忘れ去られたかのようなひっそりした空間、それは閉鎖された元劇場だ。そこへ社会への憎悪をたぎらす若者たちが集まってくる。彼らが遂行するのは「振り込めサギ」! 何とも救いのない行為だ。
そこに一つのドラマが生まれる。子供の頃から生きはぐれていた実母との再会である。ただし被害者/加害者という最悪の状況下で。ハードボイルドは心温かな心情の吐露へと一転する。だがそれは束の間の一瞬にすぎない。親だからこそ、もっと搾り取れ、という仲間の酷薄な言葉が続くからだ。社会を底辺から見ようとする作者の視線は揺るぎようがなく、物語は果てしない泥沼へと落ち込んでいく。
現在、「社会派」と呼ばれる劇作家たちが相次いで登場している。現実の厳しさは、演劇をノーテンキな娯楽作品に仕立て上げることを許さないからだ。その傾向は、2011年3月11日以降、日々高まっている。演劇に何が可能か。演劇は果たして被災者を救うことができるか。社会に寄り添うことができるのか。
こうした問いは、あまりに正論すぎて反論の余地を塞いでしまう。しかし舞台で正論を垂れ流す芝居ほど退屈なものはない。演劇には時として正論をまぜっ返す挑発も必要だし、逆説やアイロニーも不可欠だ。新劇がアクチュアリティを失って時代遅れになっていったのは、正論を律儀にやりすぎてしまったからだろう。そんな愚を若い世代も反復しかねない危うさが漂っていた。
そこに温泉ドラゴンが登場した。
ここには正論に収まる行儀の良さはない。どこまでもはみ出していって、野放図なまでに下降していく精神の傾きがある。そうした下降意識に出色の面白さが宿っていたのである。

動画

温泉ドラゴン メンバーインタビュー

木村真悟エッセイ

コルモッキルのこと

 

コルモッキルのことーその1

 「コルモッキル」は韓国語で、「路地」「路地裏「裏道」「裏街道」というような意味です。
 要するに、普段人目につかず、そこにあることすら忘れられている場所のことです。と教えてくれたのは、かれこれ15年余りに渡って、ストアハウスの日韓交流を支えてくれている金泰賢氏である。
 金泰賢氏との出会いは1999年に江古田ストアハウスで開催された、第1回フィジカルシアターフェスティバルに遡る。フィジカルシアターフェスティバルとは、戯曲を中心とした演劇ではなく、もっと直接的にお互いの身体を見つめあおうという趣旨のもとに、日本と韓国の劇団が2劇団ずつ集まって開催されたのである。
 金泰賢氏はその頃、ソウルの大学を卒業し、日本語を学ぶために留学していたのだが、ひょんなことから、ボランティアスタッフとして関わるようになっていた韓国人の先輩に連れられてストアハウスにやってきたのだった。
 彼はストアハウスにやってくるなり、ものすごい勢いでパソコンを叩きはじめた。彼の仕事は、フェスティバルで使われるさまざまな日本語を、ハングルに変換することだったのだが、当日パンフ等を含めその量は膨大で、到底初日までには間に合わないと誰もが思った。
 しかし、金泰賢氏はほとんど不眠不休でその仕事をやってのけた。後でそのことを話すと、彼は軍隊においては通信部隊に所属し、パソコンを打ち続けなければならず、非常時には毛布にくるんだパソコンを自分の命よりも大事に抱えて走らなければならないんだと笑っていた。戦争だと思えばどうってことはないですよ、と彼は言うのだ。私はなんだか笑えなかった。
 さて、その金泰賢氏には、その後、日本の大学院に進み東アジア思想史の研究を続け博士号を取得し、現在は神戸に在住なのだが、今回のコルモッキルの上演台本の翻訳、字幕用の日本語台本は、金泰賢氏の手によるものだ。
 本当にどう感謝の言葉を述べたらいいのかわからない。
直接会って話し始めると、「大したことはしていないですよ」という金泰賢氏の笑顔に甘えてしまいそうなので、この場を借りて
 「そうだよな、テヒョン、日韓交流って言ったって、大したことないよな。ともかくお互いの声を聴いて、お互いの言葉を聞いて、お互いのからだを見て、そういうことだよな」
 「コルモッキル」のことを書こうと思って、金泰賢氏のことばかりにになってしまった。
 すみません。いやそうではなく、金泰賢さん、本当にありがとうございます。
 そういえば、金泰賢氏が「コルモッキル」の韓国語の意味を教えてくれたのは、ソウルの大学路だったと思う。大学路の小劇場で、コリモッキルの代表作「青春礼賛」を二人で見た後、何かそんな話をしたように覚えているだが、確かではない。
 
以下次号
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コルモッキルのことーその2

 「コルモッキルは、韓国を代表する劇作家であり、また演出家でもある朴根亨氏が主宰する劇団です。」
 そんなような紹介をすると、彼はきっと「僕はたまたま韓国に生まれて、韓国語でものを考えて、戯曲を書いているだけで、決して韓国を代表しているわけではありません。それよりもみなさん、喉、乾きませんか」と言って、テーブルの上に並べられた缶ビールを手に取り、集まっている人たちに配り始めて、宴会の中に紛れ込んでしまいそうな気がする。
 さっきまで目の前にいたはずの朴根亨氏は、あっという間に消えてしまう。仕方がないので、劇場スタッフは手分けして「パク・クニョン氏、パク・クニョン氏」と、探し回ることになる。しかし何処を探しても、朴根亨氏は見つからない。まさに隠遁の術である。
 しかしそんな悠長なことを言っている場合ではないのである。
 これは困った。なんとしてでも見つけ出さねばと、劇場の外へ出て、彼が立ち寄りそうな居酒屋を一軒一軒、探しまわる羽目になるのだが、朴根亨氏は、新宿西口の小便横丁か、有楽町のガード下か、アメ横のもつ焼きやで焼酎をうまそうに飲んでいるに違いない。
 多少、咎めるように「パク・クニョン氏」と呼びかける劇場スタッフに対して、彼はいたずらっぽく笑いながら、まあ、ここに座って飲もうよ、と手招きをしている。
 「そうはいっても、パク・クニョンさん、お客さんも、温泉ドラゴンの演出家も俳優もみんな劇場で待っていることですから、お願いしますよ。」
 劇場スタッフはほとんど泣き出しそうである。
 劇場スタッフの必死の説得により、ようやく上野ストアハウスに現れた朴根亨氏は、彼の登場を待ちくたびれた観客が、缶ビール片手にさっき上演されたばかりの「鼠」を肴に話に興じていることに安心し、一番背が高く、そして声が大きそうな若者のそばに近よると、例によって彼特有の聞き取りにくいぼそぼそとした小さな声で、日本の「鼠」と韓国の「鼠」の違いについて語り始める。
 朴根亨氏は、日本の「鼠」も、韓国の「鼠」は、その大きさには多少の違いが見受けられるものの、自分が「鼠」であることに気がつかないということにおいては同じ「鼠」である、というようなことをしきりにしゃべっているのだが、周りの人たちは、朴根亨氏が劇場に戻ったことに誰一人気がついていないのだ。
 「鼠」の話どころではない。
 そんなことになるような気がして、怖いような楽しいような、朴根亨氏。
 以下、朴根亨氏のプロフィール。
 
 
コルモッキル・朴根亨(パク・クニョン)/プロフィール
1963年8月11日、ソウル生。劇作家・演出家。
劇団コルモッキル代表。韓国芸術総合学校 教授。
1985年、劇団76団に俳優として入団、その後演出家に転向。
2001年、劇団コルモッキルを旗揚げ。
以来、韓国を代表する劇作家・演出家として劇団内外にて幅広く活躍。
代表作に、「鼠」「青春礼賛」「代代孫孫」「ギョンスク、ギョンスクの父」
「青森の雨」「そんなに驚くな」など。
 
【受賞歴】
1999年   青年芸術大賞 戯曲賞
     演劇協会 新人演出賞、ベスト5 作品賞(「青春礼賛」)          
     評論家協会 作品賞(「青春礼賛))
     今日の若き芸術家賞、文化観光部長官賞
     KBS・文芸振興院共同主管【発掘 この人】選定
2000年   百想芸術大賞 戯曲賞(「青春礼賛」)
     東亜演劇賞 作品賞、戯曲賞(「青春礼賛」)
     評論家協会が選ぶ今年のベスト3(「代代孫孫」)
2003年   東亜日報 次世代を担う演出家 一位選定
2005年   金相烈演劇賞(「船着場にて」)
     今年の芸術賞(「船着場にて」)
2006年   今年の芸術賞(「ギョンスク、ギョンスクの父」)
     大山文学賞 戯曲賞(「ギョンスク、ギョンスクの父」)
     ヒソ演劇賞 期待される演劇人賞(「ギョンスク、ギョンスクの父」)
     東亜演劇賞 作品賞、戯曲賞(「ギョンスク、ギョンスクの父」)
     評論家協会が選ぶ今年のベスト3(「ギョンスク、ギョンスクの父」)
2009年 東亜演劇賞 作品賞・演出賞(「そんなに驚くな」)
 
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コルモッキルのことーその3

 高秀喜(コ・スヒ)は可愛い。
 襖をちょっとだけ開けて顔をのぞかせているのだが、なかなかこっち側には入ってこない。遠慮しているのだ。
 紀子さんが「スヒ、どうしたの?」と尋ねるのだが、彼女は黙ったままである。朴根亨はそれを見ながら笑っている。おそらくは韓国語で「腹が減ったのか」と言ったのだと思う。彼女はぺこりと、頷いた。
 腹が減るのは当然である。朴根亨氏率いるコルモッキルのメンバーは、その日山登りをするといって東京近郊のどこかの山に出かけたのだが、途中雨に降られてしまい、バンガローハウスに宿泊する計画を中止せざるを得なくなって、急遽私の家に避難してきたのである。彼らがそれまで宿泊していた、江古田のウイークリーマンションは、山登りの後、直接韓国に帰国するということで、既にチェックアウトを済ませていたため、彼らはその夜泊まる場所がなかったのである。
 それは、2003年11月に江古田ストアハウスで開催された第5回フィジカルシアターフェスティバルにコルモッキルが参加した時のことである。彼らは、フェスティバル終了後、どういうわけか山登りを計画していたのである。朴根亨氏が、なぜそんなことを考えたのかわからないが、それはともかく突然の来訪のこともあり、食事の準備もままならず、メンバーは雨にぬれ冷え切った体をシャワーで温め、ありあわせのものを肴に酒を飲み、ともかく明日の飛行機に乗り遅れないように寝なければと、6畳の和室に10人程、雑魚寝を敷いたのであるが、やはり腹は減っていたのである。
 その後、朴根亨氏に手招きされたスヒは、朴根亨氏の隣に子供のようにちょこんと座り、私たちは紀子さんが作ったお茶漬けを黙って食べた。居間にいるのは 4人だけである。通訳をしてくれていた大塚さん(確か大塚さんだったと思う。今回の企画では字幕オペレーターを担当することになっている、大塚真弓さんである)は終電の時間があるのですでに帰ってしまっている。
 言葉を失い、声を失った私たちは、ただただ無言でお茶漬けを啜っている。今思い出してみても、それは、滑稽な一場面であった。言いたいことが山ほどあるのに、何も話すことができない私たちはただただ「お茶漬け、お茶漬け」と言いながら、ズズーズズーとお茶漬けを啜っているのである。
 あの時、私はひときわ身を縮めて、お茶漬けを啜っている高秀喜の可愛さに、彼女の出世作である「青春礼賛」の名場面を思い出していた。ことを思い出した。
 「青春礼賛」で彼女が演じるのは、封建的な父親に反発する息子が、父親に反発するために敢えて父親が気に入らない花嫁を家に連れてくるという状況のもとの花嫁なのだが、そのことを襖越しに漏れ聞いたしまった、スヒは新婚初夜、父親の希望に沿うように大きな体を小さくして布団にもぐりこみ、新郎を待っているのである。
 私はその芝居を韓国で見た。ほとんど韓国語がわからないのにもかかわらず、泣き笑いしてしまった。
 高秀喜は可愛い。確かに大きな体を小さくして、お茶漬けを啜っているスヒは可愛い。滑稽ですらある。でもそうではない。彼女は戦っているのだ。世の中の常識、世間一般の価値観、そのようなものと戦っているのだ。そして、戦う姿は滑稽なほど可愛くなければならない。その夜の、お茶漬けを啜るスヒを見ながら、そんなことを考えていたようなことを思い出す。
 ご存知のように、高秀喜は、あの鄭義信さんの名作「焼肉ドラゴン」で主演女優を演じた。新国立劇場で上演されたその作品では彼女は在日一世の母親役であった。その役を演じるために日本語を学んだスヒは、今では黙ってお茶漬けを啜ることがないほど、日本語が堪能である。
 でもそんなことはどうでもいいのである。
 大きな体を小さくして、戦っている高秀喜は、やはりあの時と同じように可愛いのである。
 確かに、高秀喜は体が大きいのだが、あまりそのことを言い過ぎたような気がする。この文章を読んだスヒは、きっと怒ってしまいそうな気がしてきたので先に謝ります。
 高秀喜さん、ごめんなさい。
【この日の通訳】
確認したところ、この日の通訳は大塚真弓さんではありませんでした。
日本に留学中の韓国女性・鄭明花さんでした。訂正します。

【紀子さん】
ストアハウスのマネージャー。
フィジカルシアターフェスティバル、ストアハウスコレクションにおいては事務局長。
事務仕事、舞監助手、渉外、料理etc. なんでも(?)こなす54歳。
【フィジカルシアターフェスティバル】
1999年、第1回を開催。以後2006年の第7回までに、8か国、のべ34劇団が参加して、江古田ストアハウスで開催されたフェスティバル。木村真悟が実行委員長を務める。
コルモッキルは、2003年の第5回に、インド、インドネシア、日本の龍昇企画・ストアハウスカンパニーとともに『冬眠』という作品で参加。
【青春礼賛】
コルモッキル主宰・朴根亨の代表作。
1999年に初演され、韓国の演劇賞を総なめにした。その後何回も再演されて、その都度話題になる名作。
【焼肉ドラゴン】
作・鄭義信。
日本の新国立劇場と韓国の芸術の殿堂によるコラボレーション作品であり、鄭義信、梁正雄の演出により2008年に両劇場で上演された後、2011年にも日韓両国で再演された。
以下のように、多くの賞にも輝いた。
 作品に対しては  
    第16回読売演劇大賞:大賞、再優秀作品賞
    第8回朝日舞台芸術賞:グランプリ
    韓国演劇評論家協会が選ぶ2008年の演劇ベスト3
 個人に対しては
  鄭義信(作・演出)
    第43回紀伊国屋演劇賞
    第12回鶴屋南北戯曲賞
    第59回芸術選奨文部科学大賞
    第16回読売演劇大賞:優秀演出家賞(梁正雄ともに)
  申哲振
    第16回読売演劇大賞:優秀男優賞
  高秀喜
    第16回読売演劇大賞:優秀女優賞 
 

温泉ドラゴンのこと

 
 

温泉ドラゴンのことーその1

 温泉ドラゴンは、劇団名である。新しく開発された入浴剤の名前ではない。ウルトラマンと戦う怪獣の名前でもない。れっきとした劇団名である。しかしそれにしても、温泉ドラゴンである。ああそうですかと、軽く聞き流すわけにもいかない。ましてあの今なんて言ったんですか、温泉がどうしたんですか、と聞き返すわけにもいかないので、名前の由来は、とこういうわけになるので、まんまと相手の思惑にはまってしまったとそういうことに相成る次第。
 しかし、当然の質問に対して、アツシは「なんというかな、なんというかな」と口ごもるばかりである。後にわかったことだが、アツシノの口癖は「なんというかな」である。「なんというかな」と言いながら、アツシはなかなか本当のことを言わないのである。その日もアツシは、「なんというかな」と言いながら、日本中の温泉の湯の色について語り始めたのである。温泉の効能ではなく湯の色である。しばらく聞いていたのだがやはり湯の色の話はほとんど展開がないので、正直言って飽きるのである。退屈と言っていい。あくびが出るぐらいだとは言わないが、ぼうーとしていた。見抜かれた。いや油断していた。
 アツシの隣でガムを噛んでいたリュウイチが、口から取り出した歯形がついたままのガムを丁寧に丸めながら「木村さん、本当のこと言いましょうか」と言い出すのである。
 はっきり言ってやられてしまった。まったくもってアツシとリュウイチのペースである。
 「話せば長くなりますよ。」
 こうなると黙って二人の話を聞くしかない。
 いつの間にか、きれいに丸められたガムは、」銀紙に包まれて私の目の前に置かれていた。

以下次号
 注 文中のアツシとリュウイチは、実在の阪本篤と筑波竜一とはなんの関係もありません。
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温泉ドラゴンのことーその2

 そんなこんなで、温泉ドラゴンの名前の由来を聞くことになったのだが、リュウイチの「話せば長くなりますよ」に、これは最低2時間は席を立てないことになるかもしれない、とりあえずはおしっこに行ってそれから話を聞くことにしよう、と便所に走り、手を洗い、ついでだから顔を洗い、歯を磨き、コーヒーを入れて煙草に火をつけたのだが、リュウイチの話は、1本の煙草を吸い終わる前にあっけなく終わってしまったのである。
何のことはない。温泉ドラゴンの温泉はアツシの出身地だったのである。とはいっても、アツシが温泉で生まれたということではない。桃から生まれた桃太郎ではないのである。アツシにだって、きっと父も母もいるに違いない。アツシは人間の子である。
 リュウイチが語るには、日本のどこかに温泉町と呼ばれるマチがあり、アツシハそこで生まれたというのである。
 温泉町。
 調べてみると確かにあった。兵庫県の美方群、日本海側に位置する人口15000人ほどの小さな町である。
 リュウイチの話が本当ならば、アツシは温泉町からトウキョウに出てきたのだ。がそれがどうした。
 いやいや、それはそれとして、問題はドラゴンだ。なぜドラゴンなのだ。と勢い込んで尋ねてみようと思ったのだが、あまりに馬鹿馬鹿しいので、天井を見上げながら煙草の煙を吐き出すと、リュウイチがいかにも残念そうにいうのである。
 「やっぱりわかりました?」
 わかるもわからないもない。ドラゴンといえば竜である。おそらくリュウイチは、竜一なのである。
 そんなこんなで、温泉ドラゴン。
 何ともあっけない長い話である。
 リュウイチが続ける。
 「最初は、俺の出身が土浦なんで、温泉土浦にしようと思ったんですけど、やっぱり温泉土浦じゃ、あれじゃないですか、なんかしまらないっていうか。やっぱり名前って一生背負っていくわけですから」
 それは比べてみると温泉土浦よりは、温泉ドラゴンのほうがはるかにいいと言ってしまってから、何がはるかにいいのか不安になってきた。
 そういえばずいぶん昔のことになるのだが、黒服でビシーと決めたアツシとリュウイチが銭湯の湯船の中に突っ立っている写真を見たような気がする。
 温泉ドラゴン。
 結構いい名前である。

以下次号
 注 文中のアツシとリュウイチは、実在の阪本篤と筑波竜一とはなんの関係もありません
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温泉ドラゴンのことーその3

 アツシの出身地は温泉町だということを書いたら、アツシの小学校時代の同級生だという男の人から、「アツシ君は元気ですか」と電話をもらった。もちろんアツシ君は元気ですよと答えたのだが、なんだか様子が変である。
 電話の男の人は、現在92才であり、彼の言うところのアツシ君は、戦争で南方へ行き、なんとか戦死は免れたものの、何かこみいった事情があり、町へ帰ってこなかったというのである。だから東京にいるとわかっただけでも、もうそれは嬉しいことなのだと彼は言うのだが、私の知っているアツシはどう見たって35.6歳である。92歳にはみえない。「ああそれは人違いです。僕の知っているアツシ君は」と言おうとしたのだが、声が出ない。もちろんこのお話自体が虚構であり、私の夢物語と言っていいものなので、声が出なくたって何の不思議もないのであるが、そういうことではなく、そうか、アツシは92歳なのか、いろんなことがあったんだな。戦争へ行って何があったのかわからないけど、もう町へは戻れなくなって、東京へ出てきて結婚したのかどうかわからないけど、子供ができたのかどうかもわからないけど、92歳まで生きてきて、本当に一生懸命生きてきたんだアツシ君はと思ったら、アツシの年齢なんかどうでもよくなって、電話の彼の話を聞き続けてしまったのである。
 故郷がいかに変わってしまったかということ。故郷はいかに変わらないかということ。アツシ君は、とても足が速かったこと。運動会ではいつも一等賞だったこと。川で溺れかかったこと。泳ぎがうまかったアツシ君に助けられたこと。日本海に沈む夕日を見つめながら、遠い未来について語り合ったこと。温泉町は今はなく、平成の大合併により新温泉町と名前を変えてしまったこと。
 海、山、温泉、人が輝く新温泉町。
 2005年10月1日に浜坂町と温泉町が合併して発足。
 人口、15320人。(2013年5月1日現在)
 面積、241.00平方キロメートル。
 人口密度、63.2人/平方キロメートル
 アツシはいったいいつ、温泉町を出て東京へやってきたかはわからないが、アツシはやっぱり温泉町からやってきたに違いない。
 そう思ったら、92歳のアツシの友人からの電話も本当にあったことなのかどうか、どうでもよくなってしまったのである。

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 注 文中のアツシとリュウイチは、実在の阪本篤と筑波竜一とはなんの関係もありません
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温泉ドラゴンのことーその4

 さてリュウイチのことである。
アツシの温泉町のことはすでに述べた。現在は新温泉町と呼ばれている温泉町のことである。アツシが温泉町出身かどうかの真偽のほどはともかくとして、土浦出身のリュウイチとしては、なにか恰好悪いといい始めたのである。
 簡単に言うと、その昔、土浦という町がありました。今は土浦という町はなくなり、新土浦という町になってしまったのでありますが、僕はその町で生まれ、どういうわけか東京に出てきたのであります。そういう話にしてくれないかというわけである。
 そんなことを言われてもという話である。簡単に新土浦という町名をでっちあげるわけにはいかないのであるが、幾分禿げ上がり始めた額に大粒の汗を流しながら、これほどまでにと目を見開き訴えるリュウイチの形相に、これは何とかしようと思ったのか思わなかったのか、答えて曰く
 「ごめんごめん。だから俺の聞き間違いだよな。土浦は。リュウイチは、あれだろう。ツキウラって言ったんだろう。ツチウラじゃなくってツキウラだろう。つまりあれだろう。リュウイチは月の裏側に住んでいて、誰からもそのことをわかってもらえないことに、腹を立てて、なんでだ、俺は現にここに居るのにどうしてみんなわかってくれないんだ、そうか、それは俺が月の裏側にいるからなんだと気が付いて、念力で表を裏に裏を表にとがんばったのだけれどもままならず、ちょうどその頃、地球から月に帰る途中だったかぐや姫の一行に出合い、相談したところ、何そんなこと悩んでいるのよ、馬鹿ねあなたは、地球の人が見てくれる、見てくれないなんか考えたってしょうがないじゃないのよ。本当に馬鹿なのね、リュウイチ君は。そんな面倒くさいことを考えている暇があったら、地球に行ってしまえばいいのよ、あなたが悩んでいることなんか地球の人なんか何にも考えていないわよ。てなことを言われたリュウイチは、まんまとその気になってしまい、それじゃかぐや姫様、地球に行くにはどうすればと尋ねたところ、それは簡単よ、この船にお乗りなさい。この船は月と地球の定期便、簡単に言っちゃえばまあフェリーね。でもね、ちょっとお金は必要よ、やっぱりね、月だって地球だって先立つものは必要でしょう。という話を聞き終わったリュウイチは、なんだか無性に腹が立ち、かぐや姫の首を切り落としてしまい、さてこの首を、どうしてくれようこの首をと、右手に抱えたかぐや姫の首を左手に、左手に掲げた首を右手に変えて、そうこうするうちに気が付くと地球にやってきてしまい、金を払うことを拒否したために、月に帰ることもままならず、地球にいることになってしまったとそういうわけ」
 リュウイチ答えて曰く
 俺、土浦でいいです。ていうか俺、土浦です。常磐線の土浦です。茨城県です。近くに筑波山があります。本当です。俺、土浦出身です。

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 注 文中のアツシとリュウイチは、実在の阪本篤と筑波竜一とはなんの関係もありません
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温泉ドラゴンのことーその5

 さらにリュウイチのことを続ける。
 土浦生まれのリュウイチのことである。
 その日は朝からいい天気で、雲一つない青空が広がっていた。リュウイチはランドセルを背負い、「行ってきます」と普段通りに家を出たのだが、内心気が気ではなかった。胸の高まりを抑えることができないのである。なんとしてでも母親だけには気づかれてはならない。そーと本当にソート、心臓の鼓動が外に飛び出さないように歩き始めたのだが、足元がおぼつかない。右手と右足が同時に出てしまう。背中から母親の声が聞こえてくる。
 「何やってるんだい、リュウイチ」
 やばい。何とかしなければ。リュウイチは後ろを振り返り、満面の笑みで答える。
 「忍者」
 後ろから母親の笑い声が聞こえてきた。
 そうだ、忍者だ。俺は忍者になるんだ。リュウイチは思った。忍者になって筑波山を盗むんだ。いやそうではない。山なんか盗むことなんかできない。盗んだところで家まで持って帰ることなんかできない。第一バスに乗らない。そのことについてはここ1週間じゅうぶんに考えた。だから蜜柑だ。筑波山の蜜柑だ。俺は筑波山の蜜柑を盗むんだ。筑波山の蜜柑山で蜜柑を盗んで帰ったら、もう誰も俺のことを消しゴムと言わなくなるだろう。リュウイチはそう確信していた。
 その頃、リュウイチは学校で「消しゴム」とあだ名されていた。クラスの悪ガキ仲間で、学校の近くの山本文房具店から消しゴムを万引きする遊びが流行っていたのだが、リュウイチはどうしても盗むことができず、そのことをみんなは「消しゴム」とリュウイチをからかっていたのである。
 リュウイチにとって万引きなんかどうって事はない。いつだってそんなことはできると思っている。ただ、山本文房具だけは嫌なのである。山本文房具のおばあさんは目が見えない。耳も遠い。そんな店から消しゴムを万引きしたってしょうがないじゃないか。大体それは卑怯だ。それがリュウイチの言い分である。
 男なら、正々堂々と盗むべきだ。それにもっと大きいものを盗むんだ。俺は筑波山を盗むんだ。それも筑波山の蜜柑を盗むんだ。どこの山で採れたかわからない蜜柑じゃない、正真正銘、筑波山の蜜柑だ。俺は山本文房具のばあさんの目を盗んで喜んでいるような、お前らに「消しゴム」と馬鹿にされるようなちっちゃな人間じゃないんだ。
 そう考えた、リュウイチは学校をさぼり、一人バスに乗り筑波山に行き、ロープウェイに乗り山頂に登り、中腹にあるミカン園に忍び込み、筑波山を盗もうと思ったのだが、あいにくと季節は6月、蜜柑はまだ実をつけていなかったのである。
 その夜、学校をさぼったことが母親にばれてしまったリュウイチは、案の定こっぴどく叱らてしまったのであるが、筑波山の蜜柑のことは一言も話さなかった。
 その後、高校を中退し、土浦から常磐線に乗り上野に降り立ったリュウイチは、アメ横の百果園の店先に並んである蜜柑を眺めながら何故かそのことを思い出したのだという。

以下次号
 注 文中のアツシとリュウイチは、実在の阪本篤と筑波竜一とはなんの関係もありません
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温泉ドラゴンのことーその6

 さて、そんなこんなで東京へやってきてしまったアツシとリュウイチなのだが、なぜ芝居を始めたのかに関してははっきりしない。だいたいにおいてリュウイチの場合は、何か途方もなくでっかいものを盗もうと思い東京にやってきたはずなのだから、演劇なんて畑違いもいいところである。
 「俺、あれなんすよ。東京出てきて、結局トラックの運転手やってたんですよ。一応免許は持ってたんで。それで長距離乗って、長野とか名古屋とか仙台とか行って帰ってくるわけじゃないですか。毎日毎日。なんかこう同じなんですよね。風景が。それで退屈っていうわけでもないんですけど、閉じ込められてるっていうか、わかります。こっち側とあっち側があるとしたら、俺は今、こっち側にいるんだなあって。それで俺はこれからどうなるのかなあって思って、ラーメン食ってたら、ラーメン食いながらテレビ見てたら、なんかドラマやってて、誰が主役だったのかも忘れてしまったんだけど、なんかあっち行きたいって、そう思って、俺こっちじゃなくって、あっち行きたいって思っちゃって。」
 リュウイチにとって、演劇はこっちではなくって、あっちだったということか。
 「でもあれですよね。芝居はじめて20年になるんすけど、最近、どっちがこっちで、どっちがあっちだったのかわかんなくなってきたんですよね。結局、俺は今どっちにいるんですかね。」
 そんなこと、俺に聞かれてもわからない。
 いきなりアツシがしゃべり始める。アツシはいつだって突然しゃべり始めるのだ。
 「俺この前92歳になっちゃったじゃないですか。」
 いや、だから、それは俺の作り話だ。
 「それで、考えたんですけど、ともかく俺は田舎を捨てたんです。それで東京へ出てきて、辺り一面、焼け野が原なわけじゃないですか。戦後まもなくなわけですから。それでまあ、ともかく俺は歩いているわけですよ。何もすることがないわけですから、なんか目的があって東京に出てきたわけじゃないんですよ、俺はきっと。ただ田舎を捨ててきたわけだから。だからひたすらただただ歩いて、そうすることしかなくて、そしたら遠くに灯りが見えて、何だろうあの灯りは、と思って近づくと、白粉を塗った大きな男が、なんか訳も分からないことをしゃべっていて、きれいな着物を着た女がその脇で涙ぐんでて、これは何をやっているんですかって、そばにいた人に尋ねたら、シーと言われてその人に怒られて、今芝居しているんだからって言われて、ああこれが芝居なんだって初めて気がついて、魅入られたっていうか、なんかそのままそこに居ついてしまって、日本国中、旅から旅を続けている間に、すっかり田舎のことは忘れてしまって、いつのまにか若返ってしまって、荒川の土手で何故か今川焼を食っているリュウイチと、これも何故か意気投合してしまって、二人で劇団を作ってしまったというのはどうでしょうか。」
 もういい。そんなことはどうでもいい。
 二人の話に付き合っていると、今回の温泉ドラゴン公演『birth』の話にたどり着かない。うかうかしていると、9月11日の初日に間に合わない。その前に、ケイタとイワイノフが登場しなければならないのだ。
 そうしなければ、『birth』は始まらない 。
 アツシとリュウイチは、ともかく東京に出てきたのである。
 そして、おそらくはいろんなことがあったのである。
 そして、二人は今ここに居る。
 それでいい。

以下次号
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温泉ドラゴンのことーその7

 そんなこんなで、ようやくケイタとイワイノフの登場ということになるのだが、アツシとリュウイチの出会いに関してもぼんやりしているのだから、いやぼんやりというのは正確ではない。話すたびごとに内容が変わってくるといったほうがいい。だからアツシとリュウイチがどんなに熱っぽくケイタとイワイノフのことを語ろうとも、そのまま信じてはいけない。
 それはそうなのだが、二人の語り口には、騙されていることは承知の上で、もうちょっと聞いていたいような気にさせる妙な魅力がある。
 アメ横に、開店当初から、閉店セールを謳って鞄を売っている店がある。ビールケースの上に乗っかって声を張るお兄さんの口上の見事さに匹敵するといっては、褒めすぎか。
 そこで、生来の負けず嫌いとしては黙っているわけにはいかず、ケイタとイワイノフとの出会い、番外編と相成る次第。以下ご容赦。
 アツシとリュウイチは困り果てていた。毎日毎日が同じことの繰り返しである。バイトを終えて、新宿のいつもの飲み屋で、焼き鳥3本セット、冷奴、冷やしトマトを肴に焼酎をあおりながら、うんうんと唸り続けるばかりである。
 二人は、変化を求めてそれまで所属していた劇団をやめて、新しい劇団、その名も「温泉ドラゴン」を結成したのに、何をどうしたらいいのかわからないのである。
 さあ、新しい劇団を作るんだと勢い込んだアツシは、舞台を作るためにはとりあえずパネルが必要だと、あちこちを奔走し、パネルだけではなくタルキやコワリの調達まで終えてしまった。また、リュウイチはやっぱり稽古場は必要でしょう、と潰れかけた劇団と交渉し、ただ同然で稽古場を抑えてしまった。それを聞いたアツシは、劇場まで抑えてしまった。新宿にある某Z館である。
 しかし、しかしである。さあ、今日が新生「温泉ドラゴン」の稽古初日、と、喜び勇んで集まった二人は、顔を見合わせて黙り込んでしまった。ここにきて、二人は芝居を作るためには、台本がいる、セリフがいる、言葉がいる。そんな当たり前のことに、今さらながら気がついたのである。
 もちろん、図書館に行けば、古今東西、戯曲という形で台本は手に入るのであるが、なんとなくそれは嫌である。アツシとリュウイチは、今の二人のこのもやもやを、形にするための台本が欲しいのである。なかなか二人のもやもやをもやもやのままに描いている作品は少ないのである。
 台本が欲しい。いや、二人のために台本を書く作家を探さなくては。
 そんなことを思いながら、二人は今日もいつもの新宿の居酒屋で冷奴をつつきながら、黙って焼酎を飲み続けているのである。
 「うるさい。」
 隣のテーブルに座っていた男が、いきなりリュウイチに絡み始める。絡まれたリュウイチが、素知らぬ顔をしたことに苛立ったのか、男はさらに続ける。
 「だからさあ、鬱陶しいんだよ。毎日毎日黙って、焼き鳥食ってさ、なんか喋ることないの。喋ることがないんだったら、何もこんなとこに来ることないんじゃない。家で飲んでいればいいんだよ。何があったのか知らないけど、ともかく鬱陶しいんだよ。」
 リュウイチのこめかみがぴくぴくと痙攣し始めた。こうなると危ない。以前リュウイチは、酔っ払った勢いで道端の電柱に襲いかかり、右手中指を骨折した前科がある。その時もリュウイチのこめかみは今と同じにぴくぴくと痙攣していたことを思い出したアツシは、何とかしようと思ったのだが時すでに遅く、テーブルを蹴飛ばして、立ち上がったリュウイチは、ケイタの胸ぐらをつかんでいるのである。
 「何が鬱陶しいんだよ。」
 「鬱陶しいものは鬱陶しいんだよ。」
 間に入ろうとしたアツシのタイミングがちょっと遅れた。あっという間にリュウイチの右フックがケイタの左頬を直撃する。と同時にケイタの右ストレートがリュウイチの鼻にカウンターである。リュウイチの鼻からは鼻血が噴き出す。リュウイチの鼻血を浴びながらも必死になって止めに入ったアツシの顔面もいつしか返り血を浴びて真っ赤に染まっている。ケイタはリュウイチの髪の毛をつかんで離さない。何とか二人を引き離そうとしたアツシの右手がどういうわけか、リュウイチの口の中に入り、リュウイチはその手が一体誰の手かわからずに噛み切ってしまう。コップが割れ、天井の蛍光灯は砕け散り、厨房のもつ煮込み鍋はひっくり返って床はべたべたつるつるである。もつ煮の床の上で滑って転びなが、クンズホグレツしている3人のパンチの応酬は、マトリックス張りの超スローモーションで、本人たちの必死さとは裏腹に滑稽でしかなかったのだが、誰も笑わない。今この3人を笑ってしまったら、この居酒屋で飲んでいる人たち全員が、行場所を失ってしまうようなそんな雰囲気だったような気がするんですよね、というのはアツシの話なのだが、本当のことはわからない。アツシは本当のことは言わないのである。その時、一人だけ笑ったやつがいたんだというのはリュウイチの話。リュウイチの話だってどこまで本当なのかわからないのであるが、リュウイチの話によると、一人だけ笑ってしまったのがイワイノフで、笑われた3人は、イワイノフに笑われたことでさっきまっでの喧嘩を忘れ、なんでお前は笑うんだよということになり、可笑しいから笑っているんだと答えたイワイノフにさらに腹が立ち、こんなつるつるべとべとの中では喧嘩なんかできるわけがないと、表へ出ろということになり、そこから先は8本の手足が入り乱れ、店を壊された従業員も巻き込んでの大乱闘。小1時間後、押っ取り刀で駆けつけた若い警察官によって交番に連行され、こっぴどく説教をされることになるのだが、その後、警察から解放され、居酒屋の店長に平謝りをして、店を掃除し、壊したものの弁償をする約束をしたこの4人は、朝もまだ明けきらぬ新宿のとある公園で、缶コーヒーを飲みながら、今後の人生を語り合ったというのは本当のことなのかもしれない。
 おそらく、ケイタは
 「俺、書くよ。」
といったのであり、イワイノフは、
 「俺、出るよ。」
と言ったに違いないのである。
 都合のいい話だが、おそらくは、ケイタとイワイノフは、アツシとリュウイチが毎日のように通っていたその新宿の居酒屋の常連であり、アツシとリュウイチの沈黙をわがことのように共有していたのだ。
 かくして、リュウイチは、ダイゴを、アツシは、オザワを、ケイタは、ユウジを、イワイノフは、マモルを、演じることになったのである。
 「Birth」の誕生である。
 いよいよ、来る9月11日より、日韓演劇週間「生きることの考察」が開催されます。
 皆様のご来場を心よりお待ちいたしております。
ストアハウス 代表 木村真悟
 
以下次号
 注 文中のアツシとリュウイチ、ケイタ、イワイノフは、実在の阪本篤、筑波竜一、
   シライケイタ、 いわいのふ健とはなんの関係もありません
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