人前に立つこと
すべては人前に立つことから始まる。
自分の頭の中で、ああでもない、こうでもないといくら考えたところで、人前に出なくては何も始まらない。
まず観る人がいる。そこに私が立っているのである。
さて、ところで私は何故そこに立っているのだろうか。
それは私が俳優なのだからなのだが、そうするとそもそも何故私が俳優になったのかということを考えなければならなくなってしまうので、そのことはあんまり考えないようにして、ともかく私はそこに立っているのである。
そして私は気づく。
自分が頭の中で、考えていたことが何の役にも立たないことに気づくのである。
私はただ圧倒的に、自分ではない他者の視線に晒されている。
彼らの視線は、私の体中をなめまわす。
私が何を考えていようがお構いなしだ。
私の顔を。眼球を。皮膚を。
私は、ほとんど肉の塊である。
思えばなんと滑稽なことだろうか。
肉の塊であるはずの私が、なにやらしゃべり、動き回る。
観客はそれを見て、面白いといったり、面白くないといったり、上手いといったり、下手だといったり、物語を作ったり、意味を見出したり、大忙しである。
私にしたところで、人が私を観て、なにやら考えてくれているのを見て、私はただの肉の塊ですよと、しらけた態度でいるのもいかがなものかと不安にかられる。
大体が私はそんなに気が強いほうではない。
そこで私は、観客が、肉の塊である私を観て考えていることを考えようとするのだが、そこで私は重大な事実に気がついたりするのである。
観客が、肉の塊である私を観て考ええていることを、私が考えるためには、観客だけではなく、私も、肉の塊である私を観なければならないのだ。
私は、もはやただ突っ立っているわけにはいかない。
私は、考えなくてはならない。
私が、私を観る。
私が、私に、観られている。
私は、一人ではない。