演劇において、俳優は手段なのか、目的なのか。
このような問いは、もしかしたら、無意味なのかもしれません。
観客は、あるときには俳優を手段とし、あるときには俳優の存在を目的としてとらえているからです。
観客は、時にこんなことを言います。
「お話はわかったんだけど、役者がね」
あるいは、
「役者はまあまあだったんだけど、本がね」
つまり、観客としても私たちは、俳優の存在を通して、お話がわかったりするのですが、そして、俳優の存在にお話以上のものを期待しているということなのですが、それでは、具体的に、どんなお話や、どのようなお話以上の ものを期待しているのかということになるとなかなか言葉にするのは難しいのです。
しかし俳優の存在なくして、演劇を考えることはできません。
そこで、俳優は手段であり、目的である。そう答えてみることにします。
戯曲がある場合、手段としても俳優とは、台本(テクスト)に書きこまれた情報を、観客に伝える役割を背負っているという存在だということです。
また、目的としての俳優とは、台本(テクスト)に書き込まれた情報を、その身体に書き移し、そのときに発生するノイズも含め、観客に見られている存在です。
そのことを考えなければなりません。
台本(テクスト)のあるなしに関わらず、そのことを考えなければなりません。
問題は、俳優の身体に何が書き込まれ、そのことがどのように観客に伝わるかどうかです。