≪ 演出・出演者*インタビュー ≫
 

 ◾️『エレジー』に取り組むきっかけ
──数ある清水さんの作品のなかで『エレジー』を選ばれた理由について聞かせてください。
 2019年、座・高円寺で流山児★事務所が『雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた』を西沢栄治さんの演出で上演したとき、台本を読んだら、『エレジー』と2作入っていたんですよね。
──『雨の夏、三十人のジュリエット~』が書かれたのが1982年、その翌年に『エレジー』は書かれています。
 そのとき初めて読んで、これも面白いもんだなあと思って。ぼくは清水さんの作品は、学生のころ『泣かないのか? 泣かないのか一九七三年のために』(1973年)とか、新宿文化で上演された舞台しか見ていないから、それ以降はあまり知らないんですけど。
 いろいろ調べたら、老父の吉村平吉は、宇野重吉さんのために書き下ろされて、その後、清水さんが主宰する木冬社で名古屋章さんがやったり(1999年)、最近では、ala Collectionシリーズで平幹二朗さんがやったり(2011年)、錚々たる役者さんが演じている。いつかは挑戦できないかなと思って、まあ、ぼくも70歳を過ぎましたので。これは宇野さんが69歳のときの作品なんです。「ああ、宇野さんを超えちゃったか」と思って。
──平吉は69歳の設定ですから、完全に当て書きですね。
 もう早いことやらないと、だんだんできなくなっちゃうと思って。それで「ストアハウスコレクション」になんとか捩じ込もうと「これは面白いから、どうかな」って。それで西沢さんの演出は面白いんで、「『エレジー』どうですかね」と言ってみたら、「いいよ」と言ってくれたものですから、それで役者を何人か口説いて、今回やることになりました。
──引き受けるにあたって、『エレジー』について思うところはおありでしたか。
西沢 『エレジー』を読んではいましたけど、まず、ぼくの仲間内では年齢層的に取り組まないだろうし、自分が手がける台本だとは思っていなかったです。今回、龍さんに声をかけていただいて、ある程度の年齢に到達しないとできない作品ですし、チャンスをいただいたのでやってみようと。また、清水作品は独特でしょう? 
 『エレジー』も、一見、さらっと読むと、家庭劇のような人間ドラマなんですけど、やっぱりそこには清水邦夫独特の抒情がぶちこんであったりとか……
──登場人物同士が感情的にはげしくぶつかり合いますよね。
西沢 そういう台本はなかなかないので、機会があったら、ぜひにと。
 

◼️孤独を抱えたシングルたちの物語
──民藝による初演は、1983年の三越劇場でした。宇野重吉さんはきれいな白髪で、ちょうどいまの龍さんのような感じ。当時の評価はずいぶん高く、読売文学賞の戯曲賞も受賞されています。清水作品といえば、登場人物が乾杯したり、飲みものを飲んでいるようなイメージがあります。主人公の平吉は長生きするために青汁を飲んでいる(笑)。
 ブランデーとかウイスキーとかね。
──飲みものが小道具として出てきて、それが登場人物の性格を物語るような一面もあります。
西沢 ウイスキーを傾けながら相手に語りかけるようなシチュエーションがあった場合、琥珀色の液体が烏龍茶に見えちゃいけないんですよね。やっぱりお酒に見えて、それに陶酔するような世界を作っていかなきゃいけない。それから、お酒の話とはずれちゃうけど、出てくる5人が全員孤独であって……
──登場人物は全員シングルなんですよね。そして、それぞれがパートナーを無意識的に欲している。
西沢 その寂しさというか孤独感というのは、80年代に入ってね、いままでの高度成長期とは何だったのかと振り返るようなところもある。主人公の平吉は大正生まれだったりするわけで、戦争を体験して、次の世代にバトンタッチしようとしている。自分は古い人間で、時代に置き去りにされていくような、そういった者たちの孤独が描かれている。いまなおいっそう口にしないまでも感じているんじゃないかと。
──登場人物はだれもが孤独を抱えているんだけど、同時に、どの人も気が強かったり、強情だったりして、相手とぶつかりあう。いまの人たちは、あまり衝突したりしないで、距離を置いてやりすごすのに。その意味では人と人の距離のとりかたがかなり違っている気がします。
西沢 激しく生きているし、いまはこれだけ流れる思いを伝える台詞はないですよ。それだけドラマチックだし、ラブストーリーのようでもある。これだけ劇的な作品もないので、いま上演して観客に通じるものにしていきたい。
──5人の登場人物の中心に、亡くなった平吉の息子・草平がいます。息子の不在が、生前は関係を持たなかった5人をつないでいくところもありますね。
 息子の喪失感は相当大きくドーンとありますね。その喪失感をそれぞれがどう受け止めて生きていくかという。それから平吉だけに見える踏切の幻影ですね。
──『エレジー』は冒頭で、平吉が踏切の幻影を見るシーンから始まります。おそらく息子が亡くなってから、これを見るようになった……
 解釈はいろいろできるんですけど、うまくにおわせるように書いていますよね。
 

◾️芝居として演じることしかできない名作
──では、今回の見どころについて聞かせていただけますか。
西沢 ぼくとしてはとにかく俳優5人がとても魅力的ですし、龍さんがやっと人生のこの時点のものができる年齢に到達したので、龍さんの色気を見ていただきたいと思います。また、演出するにあたっては、解体したりとか、いまどきのエッセンスを注ぎ込んだりしないで、このドラマチックな芝居を、いまに通じる感じでまっすぐ上演したいなと思っています。
 演じるとはどういうことなのか……演じる狂気と日常とのない交ぜみたいなところが非常に魅力で、そこが見どころになるのかなと思う。役者も演じることと演じられないこと、狂気に陥りそうになったり手前で踏みとどまったりという、そういう未分化なところがうまく出せたらいいなと。作品はそのへんのことをオーバーラップして書かれていると思うんです。
──暗いなかで凧につながる糸を頼りに、目に見えないものを手探りで確かめようとしているところもありますね。
 みんな宙ぶらりんで、全員が空に浮かんだ凧みたいな存在だしね。
──凧のように風まかせで、自分が思い描いたように動けない。
 それがどういうふうにすれば表現できるのか、すごく難しい。
西沢 凧の糸のように目に見えないものであったりとか、言葉にしえないもの……塩子と平吉の関係のように、言葉にしたとたんに壊れてしまうような非常に繊細で儚(はかな)いものは、やっぱり演劇でしか表現できない。言葉で名づけえないから、それは芝居として演じるしかないと思う。
 『エレジー』は〈ストアハウスコレクション〉の第4弾ですが、このシリーズは古い作品のなかからよい作品を引っ張りだして、埃を払い、リレーをつないでいくような貴重な企画です。なかなか上演される機会もないので、ぜひご覧いただきたいなと思います。

 
                                                                                                取材・文/野中広樹