劇評集

「フランクフルト便り」より
岡田 元フランクフルト領事
 
2月5日、6日の両日フランクフルトのインテルナツィオナーレス・テアータでSTOREHOUSEの公演があった。
フランクフルトは、ケルン、バーゼルと続いた初のヨーロッパ公演旅行の最後の目的地だ。インターナショナルの東部、動物園の近くにある劇場で、名前の通りさまざまな外国のグループの公演がメインになっている。
 
事前に予備知識を、と思ってSTOREHOUSEのHPを調べたのは良いが、レクチャやトークのプログラムの説明のページから、今回のドイツでの出し物も唐十郎、別役実風のものなのではないかと、という誤った理解をしてしまった。おまけに、肝心の出し物のタイトルは全く記憶に無かったので、実際に舞台が始まった時には暫く状況の把握に苦しんだりした。
 
ヨーロッパ公演の出し物は「TERRITORY Selbstfindung und Wiedergeburt」(テリトリー・自己発見と再生)という、科白の無いキーボードの音楽に伴われたパフォーマンスだった。
 
見たことのない人のために、舞台で行われることを簡単に紹介しよう。
 
舞台の中央には、腰ほどの高さに古着などの山ができている。この周囲を、黒ずくめで底のしっかりした靴を履いたパフォーマーが最初は静かに、そして徐々に靴音を轟かせ、集合し分散しつつ行進する。キーボードもこれに加わり、ファルテシモになるころに我慢しきれなくなった行進が山を越え、山を蹴散らす。
 
静かになって靴音の轟きが終わると、今度は飛散したボロの間を転がり、ボロを持ってゆるやかに徘徊し、徐々に衣服を取り去っていく。ボロの間に大きなビニールの袋が登場し、やがて全裸になってビニールの袋の中に入り、激しく転がり、衝突し合う。徐々に興奮は醒めて行き、パフォーマーは息で曇ったビニール袋を被ったままで、ステージの前面に立ちはだかる。
 
ビニールを破り、そこから湯気の立った生まれたままの姿で出てきてから、銘々に古着を身にまとい、舞台をゆっくり動き回る。動きは少しずつ激しさを増し、互いに近づいたパフォーマーは崩れるように床に転がり、起き上がる。激しさが頂点を築き静けさがもどったところで舞台は終わる。
 
TERRITORYという演目の名前、そして特に副題の「自己発見と再生」ということが予備知識として入っていたら、舞台を見る目もそれに規制されていたかもしれないが、そういうことが全く無かったために、私の想像は全く別の方向に進んで行った。
 
というのも、最初の部分の行進と共に、轟音となって響く靴音・・舞台ががらんどうの木のステージだったので、特に足音がよく響く・・が、強烈な軍隊を思わせたのだ。不安感をあおるようなキーボードの不調和音も、暴力を顕わにする。それが頂点になったころに古着の山が突き崩れるのは、まさに戦争による破壊を象徴しているようだった。静かになったところでゆっくりと肉体は、戦争の被害者の霊魂の声にならない叫びと苦悶を現出しているようだった。ビニールに入った白い肉体は、先入観抜きで新しい生命の誕生を思わせる。そして、破壊のなかから、新しい営みを始めた人々は、物質社会の不条理に出会っては、この世から消えていく。
 
そんな幻想を抱きながら見ていても、全く違和感を感じない。やはり、言葉を用いない肉体と音響により表現では多義的なメッセージが加わるし、もともとの表現に力があればそのようないろいろな意味にも力がこもっているのだと思う。
 
一時間を越える熱演で、特にビニール袋の中で、激しい運動が続くので、演ずる人達は大変だろうと思う。終演後の懇談でも、ドイツ人の中からそういった感想が漏れていた。しかし、激しい動きも、筋肉に緊張を強いるゆっくりとした動きも、最後まで緊張感が途切れることなく、完成度の高いパフォーマンスだった。
 
STOREHOUSEのような種類のパフォーマンスはドイツにはないと思う。少なくとも、ある程度知られたグループにはないだろう。サッシャ・ヴァルツのグループが似たようなこともする部分はあるが、やはり西洋流の「ダンス」が根っこにあるので、リズミカルな踊りが基幹部分に残っている。これに対してTerritoryの最初はリズミカルと違う機械的な繰り返しの轟音だ。
 
STORE HOUSEのパフォーマンスにでている個々の要素は、従来のジャンルにないのではないだろうか。強いて言えば、遅い動き自体は、能楽とか、最近のもので言うと舞踏などにも通ずる、日本人の伝統的な感性がほのかに感じられる。腰の安定した動き、とでも言うのだろうか。こういう動きはヨーロッパのパフォーマンスには無い。それが、緊張感を保ちながら全体にまとまっていたのは、感心した。
 
音楽にも感銘した。実はパフォーマンスの最中、録音されたものにあわせているのだろうと思っていたが、ライブだった。それで舞台の上の動きとすごく良く連動していたのも納得できる。ダンスや演劇の前衛グループは得てして音楽に神経が行き届いてなく、音楽は保守的で面白くないものを使っていたりすることがある。それでSTORE HOUSE音楽は、特に印象が深い。微弱な単音の緊張感が良かったし、圧倒的で爆発するような不協音のフォルテッシモもなまめかしい情緒が残っていて、音楽だけでも素晴らしい。
 
私が見たのは、二日目の公演で、70人ほどの観客が熱心に見入っていた。終わった後に、ブラボーの声もかかった。しかし、ちょっと残念なのは、やはり観客が少ないことだ。ドイツでもフランクフルト近郊には、前衛が大好きな人たちが結構いるので、事前に情報が行っていればもっと大勢の観客を集められたのではないか、と思う。「一日目よりも二日のほうに観客が多かったのは、初日の客から口コミの評判が伝わったからだろう。」とマイヤー支配人も言っていたが、やはり愛好家グループにきちんと知られることが大切で、それにはミニコミ紙、口コミ、地方紙の記事などが鍵になる。ともかく最初に来る時は様々な困難があるから少ない観客でも最初に良い評判を得れば二回目三回目には大きく観客の輪が広がっていく。 STORE HOUSEの再訪を期待する。