頭寒足熱'99

1999.3.16

昨年の11月、アジアミーツアジア’98が開催された約1週間余り、ストアハウスは日本語、韓国語、中国語、英語がごちゃまぜになって、無国籍状態になった。
何をするにもまず言葉が通じないということを前提に始めなければならないという経験は、やはりスリリングだった。
普段、通じているということを前提に構築している人間関係が、自分の中でがたがたと音を立てて崩れていく様はかなりの快感だったし、通じているという前提が生み出す価値観や演劇の常識が、少なくともあの1週間の間はどうでもいいものだた。
初日が終わった後、マレイシアからやってきた羅国文からの、「私の作品はダンスに見えるか、演劇に見えるか」という顔を真赤に上気させながらの質問が忘れることができない。
彼にとって演劇とは自分の存在そのものを問い直すための場所であったにちがいない。
一人芝居で、台詞を使わずに構成された彼の作品は、限りなくダンスに近づくことで観客にとってわかりやすく、通じやすくなろうとする自分自身との戦いだったように思う。
また夜を徹して演劇の話をし続ける韓国の金聖悦のパワーには脱帽するしかない。彼とは二晩に渡って芝居の話をし続けた。
初めてのフェスティバルに緊張気味だったムーニングやカンパニーの面々もお互いの作品について意見を交換し始めた。それは普段の遠慮がちに感想を述べあい、当たり障りない状況論に落ち着くというルートからは大きく外れ、怪我人が出ないのが不思議なくらいだった。
交流会は、お互いの作品を理解しあうためではなく、お互いの作品を通して演劇の話をする方向へ向かった。それは僕にとって、かなり有意義なことだった。
演劇の話は必然的に、なぜ舞台に立つのか、自分にとってなぜ演劇が必要か、そこに向かう。
多民族国家マレイシアにおいて、三つの言語を使い分ける中華系マレイシア人である羅国文は言う。
「私にとって、演劇とは中国語でものを考え、世界と関わるための方法です」
南北分断の歴史の中で、兄二人は北朝鮮に、自分は韓国に暮らす金聖悦は言う。
「なぜ演劇を続けるのかといえば、観客を探す旅がまだ終わっていないからとこたえるしかない」
おそらく彼は観客は既にどこにもいないことを知っているのだと思う。
現代演劇において観客もまた、演劇がどこにもないことを知りつつも、演劇を探す旅をしつづけていることを、充分すぎるほどよく知っているのだと思う。
通じないことを前提にした演劇がそれでもなお、何ものかと通じあおうとしたとき、観客はそこに何を見るのか、僕は今そのことを考えている。

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