頭寒足熱'98

1998.5.10

最近は、劇場においては、開演前のアナウンスが徹底して来たせいか、様々な音色の電子音を聞くことはめったに無くなってしまったが、こと電車の中になると、事態はますます、悪くなっている気がするのは僕だけだろうか。
要するに確信犯なのである。
電車の中で電話していったい何が悪いんだよ、とか、私はあなた達なんかと別の人間なんだからね、私の話し相手はちゃんと別にいるんだからね、と言った声が、彼らの身体から聞こえてくる。
もちろんそのたんびに、はいはい、それはそうです、携帯電話は便利なものです、いくら御遠慮くださいと言われてもせっかく手に入れた携帯電話じゃございませんか、ここで電源を切ってしまっちゃ、いったい何のための携帯電話かわからなくなってしまいます、どうぞご自由にお話ください、私は寝た振りをしていますからと、軽く会釈をしながらうなだれてみたり、はいはい、確かに私はあなたとは別の人間です、いわれるまでもありません、したがって、あなたが何処の誰とお話をなさっていても、わたしにはなんの興味もございませんと、窓の外でも眺める振りをしながら時々、キッと携帯電話の彼や彼女の横顔をにらみつけたりしていると、それだけでかなり疲労してしまうので、ここは本当に寝てしまうに限ると、むりやりに寝てしまったら、一度電車を乗り過ごしてしまったので、それからは本当に寝るのはやめにして、あくまで寝た振りをしながら、あちこちから聞こえて来る声の嵐をやり過ごそうと自分なりにかなりの努力はしているのだが、そうすればするほど、膝小僧の内側や、足の指の間や、耳の裏側あたりが妙にくすっぐったく、むずがゆく、これはいよいよいけないと、久しぶりにストアハウスに現れた、最近21個目の携帯電話を購入したという自称、携帯電話マニアのM君にどうしたものかと相談したところ、それはアンタ、アンタもサ、携帯持っちゃえばサ、どうってことナインじゃないの、気になんないヨ、人の声なんか、と軽く言うので、なるほどそういうもんかと早速、携帯電話を買い求め、半信半疑、恐る恐る池袋発、飯能行きの西部池袋線に乗りこんだのだが、不思議なことに電車の中はいつものように10人から20人の携帯電話族がピーチク、パーチクさえずっているにも関わらず、これが全然きにならないのである。
なぜ、携帯電話を携帯しているだけで、他人の声がきにならなくなってしまうのかは依然として謎なのだが、電車の中でいたずらに体力を消耗することだけは何としても避けなければならない。
それ以来、僕は携帯電話を携帯し続けている。
おそらく電車の中で平然と座り続ける人々は、僕の知らない間に2個や3個の携帯電話を懐に忍ばせているに違いなく、遅ればせながら僕も、二つ目の携帯電話は、ドラエホンにしてみようかと密かに心に決めている。

1998.10.10

よほど忙しくなければ、年に1回は田舎に帰る。
子供が生まれてからはそうしているから年中行事のようなものである。たいていはお盆の頃、いわゆる帰省なのだが、両親に孫の顔を見せるという大義名分のほかに、それはそれで結構楽しいものである。
まず言葉の問題が大きい。
僕は普段いわゆる標準語(この言葉はあまり使いたくないのだがほかに適当な言葉が見当たらないので)を話しているのだが、時々どうしても標準語では話せない微妙なニュアンスに引っかかってしまうことがある。 そこで、思う存分子供の頃から使っている言葉の味をかみしめることになるのだが、かみしめながら、もう忘れてしまったはずの記憶が蘇ってきたりもする。
今はもうかなり慣れてしまったのでどうと言うことはなくなったらしいのだが、初めの頃は、妻と息子にとってはそんな僕がたまらなく奇妙な存在だったらしい。
喋っている言葉が変わるだけでなく、喋っている僕が今までみたこともない人間に見えてきてほとんど恐怖を感じたらしいということを後で聞かされ、大笑いしたことがあるのだが、当人にとっては笑い事ではなかったに違いない。
何年か前に、中学の同級生と飲んでいる時に、おまえの言葉は少し訛り過ぎていると言われたことがある。  自分では気がつかなかったのだが、郷里の言葉に対する僕の過剰な意識が彼にとっては耳障りだったのだろう。それ以来、僕は田舎に帰ってもあまり訛りすぎないように少しだけお芝居をするようになってしまった。
東京に出たばかりの頃は、明らかに東京で暮らしている自分はお芝居をしていつと言う意識があったのだが、最近ではそういう意識はなくなっている。
もう2年前のことになるのだが、そんな郷里の町まで自転車で帰ったことがある。
新幹線を使えばおよそ5時間で帰れるところを、親子3人、9日間の長旅をしながら帰省したのだが、今考えてみてもなぜそんなことをしたのかがよくわからない。
大学1年の夏には、友人と2人歩いて帰ったこともある。その時は23日間かかった。
時々よくわからないことをしてしまう癖が僕にはあるようだ。
本州の北の果てにある、小さな町と東京の距離はおよそ700キロ。
家族には迷惑だろうがいずれ3人であるいてみようかと考えている。

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