俳優教室開催にあたって ―その7―

2010年9月20日
叩くことーDrumming

 人を叩けば暴力で、太鼓を叩けば音楽で、布団を叩けばお掃除で、自分を叩けば自傷行為でといわれる世の中である。叩けばほこりが出る体のことをすっかり忘れてしまった感があるこのご時勢。

 そんなことは百も承知で、いやいやだからこその「ドラミング」である。

 アフリカの密林で暮らすゴリラよろしく胸を叩いて「ドラミング」である。

 要はゴリラになればいいんですかと誰かが言い出したような気もするが、そうは簡単にゴリラになれるわけがないのであって、まあ叩けといわれて叩かないでいるのもなんとなく気が引けて、そういえばここは、俳優教室。これは何らかの俳優修行の一環なのではあるまいかと、恐る恐るたたき出すと意外なことにいい音がする。響きがいいのはやはり胸である。ほとんどゴリラのドラミングである。私の胸にもう少しお肉がついていたら、もっともっとゴリラに近づくことができるのにと、某美術大学で粘土をこねているN女史が心の中で思ったかどうかわからないが、胸から腹部に移動したN女史の響きはほとんど、お能の囃し方の鼓のようだ。カチカチと硬い音が聞こえてくる。どこかで聞いたことがあるようなはじめて聞くような、乾いた硬いカチカチである。カチカチは餃子専門店で、餃子を焼きながら俳優家業に精を出している、Mさんから聞こえてくる。餃子専門店でアルバイトをしているといっても、何もMさんは餃子を焼きながら舞台に立っているわけではない。Mさんは42歳である。いわゆる大人である。アルバイトという日常と舞台というフィクションをそれなりの分別を持って、行ったり来たりはできるのであるが、時々台詞をジュウジュウと焼いてしまったり、相手役を餃子の鉄板の上に乗せてやりたいと思ってしまうことがあるのだという。ようく観るとMさんは自分の歯を両手の指先の爪で叩いているのである。私には、その様子が、Mさんがカチカチというその音を一生懸命に食べているように見えたのだが、本当のことはおそらく私にもMさんにもわからない。ビシッビシッと小気味がいい音を出しているのは、Iさんである。おそらく何事にも生真面目なIさんは、小学校の運動会の記憶を引っ張り出し、大太鼓から小太鼓、トライアングルとさまざまな演奏方法をいたのだろう。トライアングル奏法を駆使した頭部のコツコツ感は、その音の響きよりもしぐさの可愛らしさのほうがなんだか恥ずかしいような気がしていたのだが、いつの間にかのビシッビシッ音である。彼女は、自分の太股を鞭のようにしなった両腕で叩いているのである。太股はまるで馬の尻だ。それにしても小気味よい音が稽古場中に鳴り響く。3人の意識がどういうわけか足元に向かい始め、足の指関節から骨の音が聞こえてきた。ああ焼かれて骨になってしまえば、誰もがみんなあの音を持っているのだろうかとそんなことを考えていたら、稽古場は決してアフリカの密林になることもなく、3人の体の中にあった楽器という自然を見つける旅として、いつの間にか終わっていたのでした。

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