「縄」演出ノ-ト

00/6月

 見ること/見られること
 まず「顔」について考えてみる。
 顔はよりにもよって、その顔がまさにその人の顔であるその当人によって所有されえない。
 つまり、「わたし」とわたしの顔は内面的に連結されてはいないのだ。
 自分の顔の可視性は他者の顔の可視性を迂回して解釈されるしかないものだ。
 わたしの顔はまず他人によって読まれ、読む他人のその顔を手がかりとして、
 我々はかろうじて想像的に自分の顔をたぐりよせる。
 「わたし」とわたしの顔の隔たりはこのように他者の顔によって媒介され、
 埋められているのだが、その「他者」と彼の顔との隔たりもまた同じく、
 (「わたし」から隔てられた)わたしの顔の可視性を媒介することでかろうじて埋められている。
 「顔」を構成する要素としての「眼球」
 目は口ほどにものを言うという意味における眼球。
 視線を放つものとしての眼球。
 視線を受けるものとしての眼球。
 「わたし」の内面と直通しているという錯覚を起こさせる眼球。
 「顔」の代弁者としての眼球。
 「顔」を「眼球」と言い換えて考えてみる。
 そこから方法的に、より良く見るのではなく、みせること/みられることとして
 「わたし」の眼球の在り方を考えてみたい。

「縄」を着ること
 いわゆるファションとは何かという問いに対して、「身体の加工や変形の営みである」と答えることもできる。
 身体の自己自身における自己解釈として、あるいは自己造形として。
 それは「存在の持っている像を変形させることによって、存在そのものを修正しようとする」試みに他ならない。
 このとき、おそらく我々の存在は、物理的な形態を変えることで自己の本質そのものを変容したい、自己の限界を超え出たい、という欲望で疼いている。

 

1. 縄柱
 歩く人。
 歩く人。
 人が「歩く」
 「歩く」人
 歩きつづける人
 生まれる「列」
 「行列」
 「行列」
 わかれる「列」
 くっつく「列」
 立ち止まる人
 「人」
 「人」?
 「人」って何。
 垂れ下がる「縄」
 「縄」の発見。
 「縄」の発見。
 「縄」って何。
 「縄」の柱。
 「柱」の「縄」
 触る。
 触られる。
 「縄」の中へ

「縄」の中へ

わけいる。
 分け入る。
 ワケイル。

ひきづる。
 ヒキヅル。
 引きづり降ろす。

 

2.縄の海

拡がる
 拡がる
 固まりの縄
 ほぐれ、うごめく縄、縄、縄。
 縄の海
 膿
 ウミ
 生み
 産み
 熟み
 うみ
 績み
 倦み
 海!
 うみのなかへ
 遠い記憶

僕がまだお魚だった頃
 わたしがまだお魚になる以前のこと
 君がまだイソギンチャクだった頃
 あなたがまだ若芽や昆布だった頃
 うにやいくらが食べ物でなかった頃

遠い遠い記憶
 まるで昨日のような、
 まるで明日のような

海の中へ

3.境界線

 縄の塊
 塊の縄
 その中から引きづり出される一本の線
 あるいは曲線
 窓の発見。
 覗いているのは誰なの。
 覗かれているのはいったい誰なの
 私とあなたを隔てる窓。
 あなたと私を隔てる窓。
 私と世界を隔てる窓
 世界と私を隔てる窓。
 世界って何
 私って何。
 私とあなたを隔てる一本の線。
 あるいは曲線。
 あなたと私を隔てる一本の線
 あるいは曲線。
 私と世界を形作る一本の線。
 あるいは曲線。
 世界と私を形作る一本の線。あるいは曲線。

くぐりぬける
 走り抜ける
 通り抜ける
 いったい何をくぐっているの
 くぐる
 潜る
 クグル

この線は、入り口なの、出口なの、どっちなの。

 

4.円(サークル)

 円
 縁
 園
 炎
 艶
 淵
 垣
 怨
 えん
 エン
 円
 向こう側へ
 向こう側へ
 よじれ、もつれ、こすれる
 えん
 エン
 円
 円の中の
 活発なアメーバたち
 活発な
 アメーバ゙
 たち
 太刀
 断ち
 性質
 絶ち

 

5.顔

 朝顔
 昼顔
 夕顔
 朝の顔
 昼の顔
 夜の顔

歩きつづける6人の人形。
 6体の人形。
 人形の顔をめがけてよじ登り這い上がる、縄、縄、縄、
 傷つけられる顔
 血みどろの、血だらけの
 顔
 カオ
 かお
 隠される顔
 消される顔
 見えない顔

奪われる顔
 奪う顔

こなごなの
 木っ端微塵の

カオ
 かお
 顔

 

6.網

 張り出す縄
 張られる縄

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