上演にあたって

00/7月

 同じ文字を繰り返し書き続けると、自分の書いている文字が本当にその文字だったのかどうか不安になることがある。またそれを通り越して無気味になってしまうこともある。それはもちろん、同じ文字を何度も繰り返し書き続けることによって、その文字の持つ意味ではなく、その文字の形を見ることから生まれた不安や無気味さなのだろう。つまりそういった不安や無気味さにかられる僕は、普段ほとんど文字の形を見ていない、あるいは気にしていないということに違いない。例えば本を読んでいる僕は文字の連なりによって「意味」や「物語」を受け取っているにも関わらず、そこに文字があるということを忘れている。大体いちいち文字の形にこだわっていたら一冊の本を読み終わるのに何年かかるかわからない。そこで読書法としては、「形」よりも「意味」をということになる。
 最近何を読んでもその本の内容の違いに心が動かなくなってしまったので、自分の名前を一日中書き続けたら、不安や無気味さを通り越して、阿呆らしくなってしまってやめたのだが、その一日につきあうことになった僕の家族は、そのことを繰り返している僕と部屋中を埋め尽くした僕の名前にやはり不安と無気味さを感じてどうしていいのかわからなくなってしまったらしい。
 ところで、舞台上の俳優を観客としての僕達は、「意味」としてみているのだろうかそれとも「形」としてみているのだろうか。逆にいえば舞台上の俳優は自分のことを「意味」だと思って舞台に立っているのだろうか、それとも「形」だと思って舞台に立っているのだろうか。

「演出ノ-ト」より

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