暗闇に潜む視線

02/04月

 そもそも劇場は芝居を見るところである。
 芝居を見るとは、目の前で行われている芝居を見ることにとどまらず、その芝居を取り巻く世界を考えることであり、想像することである。
 またその芝居の過去を振り返ることであり、未来を考えることである。
 ところで劇場にはいろんな人がやってくる。
 男の人や女の人。太った人や、やせた人。ひげ面の人や、白髪の人。若い人や老いた人。
 とりあえず人々は観客と言われている。
 そして観客は、芝居を見ることによって、自分自身を振り返り、決して通じることのできない他者に出会う。
 そして舞台は観客がいることを想定して作られる。
 いかなる意味においても舞台は観客の欲望に答えようとするものだ。ところが困ったことにこの観客の欲望がなかなか難しい。観客自身、自分の欲望がどの辺にあるのかわからなかったりもするからだ。
 そこで劇場には、玄人の観客と素人の観客の2種類の観客が必要とされることになる。
 玄人の観客は、観客席に身を潜めながら、舞台と観客双方に目を光らせながら、観客の欲望さらには舞台の応答の仕方を監視する。
 素人の観客は、玄人の観客の監視の気配を感じながらも、何食わぬ顔で舞台上で行われている様々な出来事に熱中する。
 しかし、玄人の観客は素人の観客に比べて決してえらいわけではない。
 だいたい素人と玄人の区別が難しい。
 自身玄人だと思っているのに意外に素人だったり、あるいはその逆であったりもするから、ことはなかなか厄介である。
 玄人の観客は恐ろしく孤独である。下手なことを言ったら、舞台から客席から石をぶつけられることは必至である。
 そして玄人の観客には技術が必要とされる。その技術は投げつけられた石から身をかわすためにあるのではなく、どちらかというと石を投げつけたくなるような緊張を舞台と観客に与えるための技術である。
 ともかく今劇場は玄人の観客を必要としていることは確かである。
 玄人の観客は劇場に緊張を走らせる。
 その緊張は、観客、舞台ともに必要としている緊張である。

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