風景からの脱出 「縄」~演出ノートより~

00/7月

舞台の上に生み出されるさまざまな風景

 どこからか現れる俳優たち。舞台にはたくさんの縄。彼らによって動かされ、蠢き、ざわめき、形を変えるたくさんの縄。
 彼らは縄を動かす。
 彼らは縄を動かし続ける。
 動かすごとに生まれる新たな風景。
 やがて彼らは、彼らが作り出した「風景」の中に閉じ込められている自分自身に気づく。

風景との対話

 いつしか彼らは、自らが生み出した風景と対話を始める。
 舞台には、彼らが生み出し、作り上げた風景の他には何もない。
 彼らは対話を続ける。
 彼らはお互いにほとんど言葉を交わすことはない。また声を発することもない。
 なぜなら、お互いに言葉を交わし声を出した瞬間に、彼ら自身が風景の一部になってしまう恐れがあるからだ。
 風景の中に閉じ込められた彼らは、風景の中に溶けてしまうことを拒否するために、言葉を失い、声を失った存在として舞台の上に立ち続ける。
 風景が偽物なのだろうか。それとも偽物は彼らなのだろうか。

繰り返される脱出

 やがて、彼らは舞台から、つまり彼らがつくり出した「風景」から脱出を試みる。
 例えば、彼らは風景を壊そうとする。
 壊す度に生まれる新たなイメ-ジ、新しい風景。
 彼らは幾度も「脱出」を繰り返す。
 壊しつつ生まれる風景の数々。
 幻影の数々。
 ほとんど不毛ともいえる、彼らによって繰り返される「脱出」という行為の数々。

現実はどこにあるのか

 リアルな、生々しい現実を取り戻すために、彼らは自らが生み出した風景を、幻影を、彼ら自身による絶え間ない対話の果てに切り裂く。
 その瞬間を、現在を生きる私たちのリアルな現実として、彼ら自身が感じるために。

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