舞台の上に生み出されるさまざまな風景
どこからか現れる俳優たち。舞台にはたくさんの縄。彼らによって動かされ、蠢き、ざわめき、形を変えるたくさんの縄。
彼らは縄を動かす。
彼らは縄を動かし続ける。
動かすごとに生まれる新たな風景。
やがて彼らは、彼らが作り出した「風景」の中に閉じ込められている自分自身に気づく。
風景との対話
いつしか彼らは、自らが生み出した風景と対話を始める。
舞台には、彼らが生み出し、作り上げた風景の他には何もない。
彼らは対話を続ける。
彼らはお互いにほとんど言葉を交わすことはない。また声を発することもない。
なぜなら、お互いに言葉を交わし声を出した瞬間に、彼ら自身が風景の一部になってしまう恐れがあるからだ。
風景の中に閉じ込められた彼らは、風景の中に溶けてしまうことを拒否するために、言葉を失い、声を失った存在として舞台の上に立ち続ける。
風景が偽物なのだろうか。それとも偽物は彼らなのだろうか。
繰り返される脱出
やがて、彼らは舞台から、つまり彼らがつくり出した「風景」から脱出を試みる。
例えば、彼らは風景を壊そうとする。
壊す度に生まれる新たなイメ-ジ、新しい風景。
彼らは幾度も「脱出」を繰り返す。
壊しつつ生まれる風景の数々。
幻影の数々。
ほとんど不毛ともいえる、彼らによって繰り返される「脱出」という行為の数々。
現実はどこにあるのか
リアルな、生々しい現実を取り戻すために、彼らは自らが生み出した風景を、幻影を、彼ら自身による絶え間ない対話の果てに切り裂く。
その瞬間を、現在を生きる私たちのリアルな現実として、彼ら自身が感じるために。