目は臆病だが手は鬼になる

2012年1月

震災後、海を遠くに眺めながら、漁師がつぶやいていた。
三陸には、そのような言葉が、古くからの言い伝えとして残っているのだと、彼は言う。
確かに、眼は臆病だ。そして都合がいい。見たくないものは見ないばかりか、
なかったことにもしてしまう。
フレームの外側に押しやったはずの風景が、後から後から入り込む。
確かに、眼は臆病だ。
そして狡猾だ。
溢れ出る涙は、甘い匂いがする。
おそらくは、忘却や捏造という名の甘味料入りの涙に違いない。
公園の砂場には、砂糖漬けの眼球が並べられ、無数の蟻が群がっている。
だから、手は鬼になる。
鬼にならなければならないのだ。
鬼になった手は、決して振り返らない。
そして、鬼になった手は、記憶する。
臆病な眼が、見ることができなかった事柄を記憶する。
臆病な目が、涙とともに忘れ去った風景を記憶する。
眼は臆病だが、手は鬼になる。
もう一度つぶやいてみる。
いつの間にか、からからに乾いた俺の眼球は、瞬きもできない。

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