お待たせしました。「上野ストアハウス」の開場です。

「テアトロ」2011年8月号掲載

 江古田ストアハウス閉館からおよそ2年、ようやく新劇場「上野ストアハウス」の開場です。開場にあたってこの2年間を振り返りつつ、閉館の際書いたいくつかの文章を読み直してみると、いかにも悔しさがにじんでいます。またそれと同時に、何か一仕事終えたようなほっとしたような感じも見受けられます。おそらくその当時の私は、このまま静かに消えていくのも一人の人間の生き方としては悪くないのかもしれないなという気持ちと、それで本当にいいのかという気持ちがどうしようもなくぶつかっていたのだと思います。
 江古田ストアハウスは、1984年、当時私が主宰していた劇団七転舎の稽古場として産声を上げました。それは、大学の小さな学生劇団の一つだった私たちの、大学卒業後もふらっと集まり演劇のことを語り合う場所を作るというささやかな夢の実現でした。その後、1994年、劇団七転舎解散後、劇団が稽古場を持つという形ではなく、劇場が稽古場を持ち劇団を育てる、また劇場の企画によってさまざまな交流の場所を作るということを目的に運営されてきました。
 しかし、皆さんご存知のとおり、2009年7月、江古田ストアハウスは、建築基準法、消防法、興行場法という法律の基準を満たしていないという行政の判断により、閉館せざる得なくなりました。
 当たり前の話ですが、いくら理想を声高に叫んだところで、そこに人が集まらなければ、そこは劇場ではありません。江古田は本当にさまざまな人が集まる場所でした。誰も人が集まらなくなったことによる閉館ならあきらめもつきます。江古田ストアハウスの場合はそうではなく、まだまだこれから、いやこれからだという矢先の閉館でした。悔しさはそこにあります。
 消防署の大会議室で手渡された勧告書類が、あまりにもわけのわからない日本語が並んでいて理解不可能のため、練馬消防署の中にいた一番親切そうな消防署員に説明してもらったことを思い出します。要約すると、江古田ストアハウスはあくまで自称、劇場であって、法律的には、劇場ではないということでした。何故25年間、何の指摘もなかったのかということに対しては、時代は変わったんだとも言われました。また、今はあちこちに大きな劇場ができているんだから芝居をするならそこでやればいいじゃないかとも言われました。いや劇場というものはそういうことじゃないんだと言い返すこともできずにいる私に対して、ともかく雑居ビルの5階にある劇場は危険きわまりないのだから、と優しく諭すように彼は言い続けました。私は彼の言葉に従い、江古田ストアハウスは閉館しました。
 東京という都市の中に眠っている場所を探し出し、その場所を改装し、そこに人が集まり、やがてその場所が劇場と呼ばれる。そんな素朴なイメージが私自身の小劇場でした。そして私たちの江古田の25年間でした。
 果たして東京にそんな場所は眠っているのか、そしてその場所は法的に基準を満たす場所として改装できるのか、そんな不安と戦いながらの2年間でしたが、昨年、10月、上野のオフィスビルの地下に天井の高い物件を見つけ、用途変更手続きを行い、建築基準法を遵守するため、階段を作り直し、消防、保健所の指摘にあうように設備の改善を行い、ようやくの思いで、法的に劇場と呼ぶことができる場所を作ることができました。いよいよこれからが正念場です。
 支えてくれたのは、江古田時代に出会ったさまざまな人の「劇場を作るんですよね」の励ましの声です。本当に感謝しています。皆様、本当にありがとうございました。
 そして、お待たせいたしました。
 2011年6月1日、ついに上野ストアハウスの開場です。
 今後は、上野に集まる人たちとともに、上野ストアハウスを名実ともに劇場にしていこうと考えております。さまざまな人の思いが出会い、そのことが言葉になっていく劇場を目指していこうと考えています。
 上野ストアハウスはこれからです。皆様、お付き合いのほど、よろしくお願い申しあげます。

ストアハウス代表 木村真悟

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