劇現場からの発言「―「外」へ出ること―」

07/12月

 ある宴席のことである。隣に座っていた若い男が急に立ち上がり、「だからぼくが聞きたいのはそんなにまでしてどうして外国へ行くんですかと、そういうことですよ。」と怒鳴り始めた。結構背の高いその若い男の顔を見上げる格好になった私は、だいぶ酔っていたこともあり思わずひっくり返ってしまった。しかし困ったことに、私はその男に見覚えがない。劇団員に尋ねると、男はしばらく前から私の隣に座っているらしい。劇団員達は、てっきり私の知り合いだと思っていたと口をそろえる。そういえばどこかであったことがあるような気もしてくる。仕方がないので、男の話を聞くことになる。その頃になって私は、この宴会は今年おこなったインドネシアツアー、ロシアツアーの反省会をしていたのだということに気がついた。
 要するに男は、海外公演には意味がないということをいいたいらしい。男が言うには、演劇は、人間が人間を見るための制度である。制度である以上、そこには制約がある。制約の最たるものは演劇には言葉が介在することだ。そして言葉は共同体に帰属するものだから、あるいは共同体は言葉に帰属するものだから、言葉が通じない外国で公演をすることに何の意味があるのだということらしい。なるほどもっともだ。男はさらに続ける。
 「グヌンキンキドゥールのことだってよく考えればわかることじゃないですか。だいたい日本人は宗教の事を甘く見ているんですよ。インドネシアはイスラムですよ。イスラムの国でいくらパンストで身を包んでいるとはいえ、ほとんど裸に近いわけでしょう。石投げられたって文句なんか言えませんよ。」
 さすがに石は投げられなかったが、野次と罵声はすさまじかった。
 グヌンキドゥールは、ジャワ島の古都であるジョグジャカルタから北東へ約100キロ位に位置する。人口300人ほどの、いわゆる過疎の村である。過疎化対策のため、村長は、村の伝統工芸である仮面作り、また村に伝わる伝統的な踊りの継承に力を入れているのだという。今後は観光に力を入れて村を活性化していかなければならないという村長の挨拶が続く中、村人総出で、村のご神木の前には私たちのための仮設舞台が作られていく。私たちは、その舞台の上で出演者全員がパンティストッキングで梱包された「Remains」を上演したのである。昼過ぎから始まった、グヌンキドゥール祭りの最後にプログラミングされた私たちの公演には、村人全員が集まった。公演が始まるや否や、村へ到着した私たちを迎えてくれた歓迎ムードはどこかに吹っ飛び、すさまじい野次と罵声と怒号が私たちに浴びせられた。1時間ほどが過ぎ、いつ公演が終わったのかも定かでないまま、ともかく公演は終了し、闇にまぎれて、与えられた楽屋代わりの一軒家に戻り、私たちは着替えをすませた。その後、私たちを見送る村人は誰もいなかった。
 「だからね、自己満足なんですよ。それは宗教はある意味、偏見ですよ。でもね、人間なんてみんな偏見の塊りなわけですよ。それに偏見がなかったら生きていけないんですよ、われわれは。そのうち喧嘩になって殺されますよ、きっと。」
 とりあえず私たちは殺されはしなかった。ジョグジャカルタに帰るバスの中、コーディネーターであり通訳も兼ねているUさんが、こんな騒ぎになってすみませんとつぶやいた。でもそれは表向きのことで、おそらく彼女はすべて承知の上で、村長をだましたに違いない。それが証拠に彼女の目はいたずらっぽく笑っている。笑いながら彼女は言う。きっとね、現実と虚構がひっくり返ったんだと思う。つまりね、村の人達にとっては舞台が現実で、そのことを認めたくなくて騒ぎ出したんだと、私は思う。
 「でもそういうのって、おもいあがりだと思うな。何でも好きに解釈しちゃえるってことだよそれは。通じ合えないことに可能性があるなんてそんなの嘘だよ。だって演劇ってどこかでわかりあいたいわけでしょう。拍手がほしいわけでしょう。本音を言えば。」
 確かにそうかもしれない、と思ったりもする。
 「ロシアにも行ったんでしょう。結局、観客が多ければ喜ぶわけじゃないですか。スタンディングされれば嬉しいわけじゃないですか。でもそれって日本人だからですよ。珍しいから客が集まっているわけで、そんなの動物園の珍獣と同じじゃないですか。」
 何かしゃべらなくてはならない。私はまだこの若い男に一言も言い返していないことに気がついた。
 珍獣で何が悪い。確かにロシアでの観客の反応はインドネシアに比べ良かったのかもしれない。しかし問題はそんなところにあるのではない。だいたい、日本にいたら自分が日本人なのか、珍獣なのかそれさえもわからない。そもそも演劇は、そのことがわかりさえすれば上等じゃないのか。グヌンキドゥールの村の人には、公演前、私たちは確かに日本人だった。公演が終わった後、私たちはいったい何人になったのだろう。私自身考えなければならないのはそのことだ。私たちが公演したロシアの劇場は荒れていた。それはソビエト連邦時代、国営だった劇場が民営化されたからだ。壊れたトイレはそのままだった。要するに金がないのだ。そんな中で、珍獣にしろなんにしろ、私たちを呼んでいる彼らの欲望に答えなければならない。それだけだ。もちろんあなたが言うように、演劇には共同体の感覚や感情を構築したり補完していく機能もある。またそれとは逆に、共同体自体を批評するという機能もある。今私にとってどちらの立場を選択するのが、より自由を考えることができるのかということが問題だ。ツアーに出かける前に劇団員の前でそんなこといったことを思い出す。思い出しながら、相当に酔っ払ってろれつが回らなくなっている自分に気がついたのだが、後の祭りである。若い男はなにやらしゃべり続けている。なんなんだこの男は。男は、私の若い頃によく似ているような気がする。私は、私の若い頃によく似たその若い男につかまりながら、なにか言おうとしているのだが、言葉にならない。ともかく外へ出ましょう、と誰かの声が聞こえる。「外」ってどこだ、と若い男は叫んでいる。本当にそうだ。「外」ってどこだ。

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