「Ceremony 上演に向けて」

07/2月

 セレモニーを日本語に直すと、儀式である。
 儀式とは、共同体と個人の契約である。あるいは通過儀礼でもある。
 現在、二十歳になる子供が、生まれたとき、立会い出産だったせいかどうかわからないが、妻と息子をつなぐ臍の緒をまるでテープカットのように鋏で切らされた。確かにテープカットには違いない。おそらくその産院では、母とこの絆を切ったのは、お父さんあなたなのですよ、これからは親子三人、新たな気持ち家族関係を構築していくのですよ、といった願いを込めて、そのような儀式を演出してくれたのだろうが、なかなか素直に万歳と叫ぶ気になれず、そのときのくぐもった感じはいまだに晴れないままである。
 いったい何と契約を結んだのか、いったい何を通過したのか。
 とにもかくにも子供は生きている。表現は適切ではないかもしれないが、「俺は子供を殺さなかった」

 子供から大人へ、成人式。
 社会的に認められた性的な関係、結婚。

 つい最近、親戚の葬式で田舎に帰った。
 通夜はどこで行われているのかと思ったら、何とかセレモニーホールで行われるらしい。

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