アヤコレット
Overground Vol.6より

 

 

 あたしは人間の本性を見ていた。
 ゴミ。人の作った物の残骸。それを踏み歩く人。
 ゴミは体に巻きつき手足の自由を奪いゴミ山を悶え駆けずり回る人。
 生死をさ迷いやがて訪れる静寂と死。
 死の淵から自らビニールを突き破る再生の時。
 そこには血と熱の荒々しい生の衝動がある。
 熱を帯びた体。個と個の衝撃で生まれる強いエネルギー。
 開放された体は完全な美を身に付けて・・
 屈んでゴミを拾い身に付け歩き始める。
 沸き起こる激しい衝動を抱え淡々と前進し続けるために。

 鬼才演出家木村真悟氏が手がけたTerritoryⅡ.演技者はひたすら歩く。呪われたかのよう。氏自身も故郷八戸、東京間を靴2足潰して歩いたことがあるという。

 一体歩くということは何だ? この場においては激しく突き抜ける命の衝動そのものだ。なぜその動きをしたいのか、その衝動はどこから来てどこへ行くのか。内面を深く見つめ表出させることを要求する氏。

 これは「生きる」ことを直視することだとあたしは直感する。

 激しい稽古の間に己と格闘してきた彼らの顔は迷いがない。5人のエネルギーが徐々に集約され一気に爆発する瞬間が何度も生まれる。肉体と魂の欲望から発生するエネルギーの衝突、牽制、充満。そこへ音楽は絶妙に彼らを挑発し新しい間を作る。

 受けて立つ演技者。照明もまた同じ。光が先に場を作る瞬間、あるズレが生む完全な新しさ。既成の演劇的振る舞いは皆無。ただ前衛精神のみ。

 ここはそれぞれのTerritoryにおいての挑戦の場だ。個と集団。照らし照らされる者、空間と音と動き。領域を越えた所に新しいビート感が生まれる。陶酔(エクスタシー)が蔓延する歓喜の誕生に観客は成す術もなく、うちのめされるのだ。

 ゴミ山を転がる体に巻きつくビニールに入り、終には全裸となる人間。

 ある静寂が。シンクロする舞台と客。演技者の乱れた呼吸と客の微かに乱れた呼吸の音のみ。そこへある気配で観客を向く(この恐々しい間)。何かの衝動が体をばたつかせ転がらせる。体にのし上がる体。衝突。頑丈男と華奢女。渾然一体。激しさ。透ける裸体。(頭をよぎるビニール入りの血の滴る生肉)

 熱と湿り気でビニールに張り付き歪み赤らむ顔、黒々濡れた髪、腹、押し付けられた陰部。バタつく足。(あたしの体も熱く火照る)

 やがて静から動へ。強いスポットに照らされた赤い体がビニールの中で煌々と輝く。まさしく一つの美。ゆるりとビニールを破り外部へ。剥き出しの魂か。

 いやこれはエロスだ。美を支配するもの。

 ビニールの穴から白い湯気が勢いよく空に舞い客席から漏れる溜息。
どうしようもなく再生の時。 ヴィーナス?

 散乱するゴミは鮮やかな色彩となり目に反射する。全裸の表情は威厳に満ち満ちて…。あたしはそれにそっと「触れたい」という欲求にかられる。

 TerritoryⅡ。美は一度朽ち果てたものから生まれ、熱を帯びて昇華しまた再生する。その瞬間のエロス。

 終演後、紛れもなく美の囚われの身であるあたしがそこにいた。

 

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