マレーシア週間

―演劇とダンスの間で―

2015.1.21-1.25


出演

EN Theatre Production + ASWARA(マレーシア)

DPAC Dance Company(マレーシア)

ストアハウスカンパニー(日本)


クアラルンプールで活躍するWong Oi Mingが主宰する
EN Theatre Production + ASWARA、クアラルンプールを拠点にマレーシア国内外で活躍するダンスグループDPAC Dance Companyと、東京を拠点に世界各国で活躍するシアターグループストアハウスカンパニーが、演劇とダンスの間で 演劇の多様性を提示する!



  

EN Theatre Production + ASWARA

『Love You Forever』

人間の魂はこの世に生まれてくる前には、世界で愛に包まれる魂の故郷に棲んでいるといわれる。ある二人の魂は、親と子という関係に結ばれてこの世に姿を現した。この作品は、親子の愛情を描いた物語である。
その愛は不滅のもので、永遠に受け継がれていく。

 この作品はロバート・マンチが描いた絵本『Love You Forever』にインスパイアされて創作された。世界で1500万部も売れたこの絵本は、世界の多くの読者に感動を与えた。その感動や親子の愛情という、奥深いが単純な話を、言語や年齢・世代を超えて多くの人々に共感してもらえる舞台芸術作品として成立させることは、演出にとっての挑戦である。


テキスト・演出:Won Oi Min
出演:Atiqah Abu Baker, Mohd Zainul Ashraf Zainul Fuad

DPAC Dance Company

『WExplode』

DPAC Dance Companyは、Damansara 芸術劇場の芸術監督であり、国内外で活躍する振付家のWong Jyh Shyongによる『WExplode』。人間の関係性や価値が混乱し、未来への希望や不確かさが交錯する若い世代を描くダンス作品です。

DPAC Dance Company(DDC) について
DDCは2013年にマレーシアにおいて、Won Jyh Shong芸術監督の指導・指揮の下、Damansara Performing Arts Center(DPAC)とともに設立された。DDCはDPACを拠点として、地元のアーティストやマレーシア国外のダンサーとコラボレーションによる作品創作を目指している。


演出:Wong Jyh Shyong
出演:Wong Jyh Shyong, Chew Zi Xin, Tan Bee Hung, Teo Khai Shen

ストアハウスカンパニー

『箱-Boxes-』

「箱」は、箱が動き続ける芝居です。
舞台に登場するいわゆる俳優とか、パフォーマーとか呼ばれる人々が、動かし続けます。舞台の上には、幅90センチ、奥行30センチの20個の木製の箱が置かれます。彼らは目の前にある箱を動かします。彼らは箱を動かし続けます。

この作品を作るにあたって戯曲や台本といった文字テキストは使用していない。それは戯曲や台本の読解や、あるいは変換・編集といった作業を通して見えてくる人間像に「違和感」を持ってしまったからだといっていい。私たちの方法論は「できるだけ単純な言葉で作品を作る」ことにある。
単純な言葉というのはたとえば「歩く」「転がる」「倒れる」「起きる」などである。複雑に進化した言葉や思想によって切り捨てられていった身体の行方を、単純なことばのゆくえを単純な単純な言葉の側から探し出す。

公式サイト


構成・演出:木村真悟
出演:金丸瑞貴、鈴木ハルニ、渡辺芳博、菊池祐太、岩本真夏、森田ひかり、町田花子

劇評

 
ストアハウスコレクション・マレーシア週間
-演劇とダンスの間で- 公演評

立木 燁子

 
 上野の小スペース、ストアハウスが身体性に焦点をあててアジア諸国との芸術交流を深めている。言葉を排して身体の持つ表現力を発揮させる独自の手法で演劇の身体性を追究してきた演出家の木村真悟は、アジアの舞台芸術との出会いを通して新たな舞台表現の可能性を引き出そうとしている。
 1月に開催されたストアハウスコレクション・マレーシア週間は、木村の率いるストアハウスカンパニーに加えマレーシアから気鋭の劇団とダンス・グループを招聘して、実演の比較上演を通じて互いの差異あるいは親近性を見いだし、刺激し合う磁場を創出する試みである。クアラルンプールを拠点に活躍する劇団、EN Theatre Production とDPAC Dance Company との競演で、2回の日韓演劇週間に続く3回目の企画である。
 1月24日(土)昼公演では、まず木村の代表作『箱』の改訂版が注目された。木村はこれまで『箱』や『縄』など箱やロープという具体的な物体と身体との関わりを、視覚のみならず空間や環境がはらむ実体的なエネルギーのなかで捉え、表現が体感的に観る者とどう関わり、その存在にいかに働きかけるかに関心を示してきた。1998年に初演した自作と時間を置いて向き合い、ある意味まったくの新作として改めて自らの創作性を検証するものである。ミニマル・ミュージックの巨匠、スティーヴ・ライヒの曲にのせて全編1時間25分、男女7人の役者たちを休むことなく動かして、空間をエネルギーで満たしていく。舞台上で随時変容する可動式の箱の装置も効果的だ。
 冒頭、壁のように積まれたボードの向こうから平服の男女が現れ、ゆっくりと、やがてアップテンポに変わる音楽とともに歩行を早め巡っていく。列をなして、時にうねるように、図形が交錯し、S字型、渦巻きへと進んでいく。反復を重ね、循環する音楽にのって動きが変化し、エネルギーを孕んで空間全体に浮遊感を生みだしていくのが魅力的だ。並べたり、積んだり、置き換えたり、空間は意表をつく形で変化し、そこに集団と個の関係が浮上するのも面白い。階段状に積み上げた箱を登りつめてパフォーマー達が後方へ落ちていく終幕は、再び始まりへとつながる。共同体と個の関係性などへと思索を深めることも可能だが、まずは音楽の循環とエンドレスな流動的な動きが生み出したドラマティックで起伏のある舞台を称えたい。
 DPAC DanceCompanyの『WExplode』は、確かなテクニックで踊られるダンス作品。マレーシアの振付家、Wong Jyh Shyongの作品で、女性3人男性1人で踊られる。ピッピッというカウント音に自然音が響くなか、薄闇のなかを闇に溶けるように身体がゆっくりと転がっていく。膝を立てて立ち上がり、再び床へ転がると身体が痙攣を始める。髪を振り乱し、のたうつ女性。立ち上がり、直進してくる女性の手には拳銃があり、赤いライトを浴びて男性が倒れる。女性vocalの響くなか、女性達が男性を痛めつける。4人のダンサーはよく訓練され、しなやかな動きで人間関係の軋みや葛藤を浮上させる。ダンス的な振りと内的感情を噴き出すような痙攣性の唐突な動きが振付的につながらないところも散見されたが、振付家の問題意識は骨太の筆致で確かに表現されていたように思われる。
 次回は2016年にタイ週間が開催される。
意欲的に、さらに挑戦的に交流を続けて欲しい。
 
 

 
形成のあそび ――ストアハウスカンパニー『箱』
 

寺尾恵仁

 
 ストアハウスカンパニー『箱』(2015年1月23日観劇)は、「あそび」についての上演である。7人の男女が、90cm×30cm×30cmの木製の「箱」を、黙々と動かし続ける。20個の「箱」によって、時に抽象的な形象が、時に具体的な橋や門のような建造物が、幾度となく形成されては解体される。作られるのは物ばかりではない。個々の「箱」の間に現れる空間ないし余白――「あそび」――が、様々な意味を持って提示される。
 漢字学者の白川静によれば、「遊」とは、旗を立て贄を持って道をゆく象形に由来する。「遊行」「遊民」「遊覧」といった語が示すように、「あそび」には確たる目的も道筋も存在しない。ただ日常を逸脱し、未知のものの中に進んで行く運動性があるばかりである。松岡正剛は、そうした運動性を「境界をまたぐことであり、自身の内なる遊牧的な動向に忠実であろうとしたこと」と表現する。私達は、「あそび」によって束の間日常の連関を離れ、不確かな揺らぎに身を任せる事ができるのである。
 こうした「あそび」の持つ不確かな魅力は、形成と解体という相反する二つの運動性によってもたらされる。例えば、通常「教養小説」と訳されるドイツ語のBildungsromanは、bildenすなわち「形成する」という動詞に基づく。「教養小説」とは、主人公が様々な経験を積み、人格を形成していく成長の物語とされるが、その際に重要なのは、主人公が遍歴すなわち「遊行」や「遊学」を行う事である。教養/形成(Bildung)は、常に遊戯(Spiel)と密接に結びついているのである。
 『箱』に登場する7人の男女もまた、自身の身体と20個の箱というシンプルな素材を用いて、様々に戯れる。ただし、その「あそび」は、決して不真面目で粗雑なものではない。この上なく真剣に、張り詰めたような緊張感を持って行われる。恐らく彼らには、「少しでも他の共演者の動きに干渉するような時は、その場で止まれ」という指示が出されているに違いない。また直方体の箱を縦に置き、その上に俳優が乗るというような危険な場面では、個々の俳優の動きが緻密に計算され、何度も修練されたものである事が見て取れる。「箱を動かす」という単純な動作ではあるが、危険を避けるために多大な労力が費やされているのである。もちろん時には、特に後半部で俳優が疲弊してくると、見ていて肝を冷やすような瞬間も生じる。しかし、それもまた――上演が崩壊しないギリギリのレベルで――この「あそび」の不確かな魅力を生み出しているとも言える。
 開演して一時間が過ぎた頃、俳優達が服や身に着けているものを交換する場面がある。各俳優の外見的なアイデンティティが混ぜ合わされ、再構成されるのだが、ここでは遊戯と演技の関係がテーマ化されていると考えられる。西郷信綱が「古代においては、遊びとは日常の仕事をやめて何かを演じることだった」と言うように、またドイツ語のSpiel、英語のplayが「遊ぶこと」であると同時に「演じること」であるように、「あそび」とは、他なるものへのトランスフォームであり、自己のアイデンティティを問い直す行為でもあるのだ。ストアハウスカンパニーの『箱』が、シーシュポスの岩のような終わりなき苦行を思わせるのと同時にどこか愉悦を覚えさせるのは、こうした「あそび」を通じた自己と世界の問い直しが行われるからに他ならない。
しかし、「あそび」はポジティヴな意味ばかりではない。終盤、死刑台を思わせる階段が舞台奥に向かって組まれ、俳優達がその階段を上っては飛び降りる場面がある。彼らは躊躇なく、次々と飛び降りていく。一人の男性は最上段まで上がったものの、しばらくそこでためらうが、他の俳優達に促され、やはり飛び降りる。それはあたかも、ある共同体の破滅が一つの救済として信じられているような、恐ろしい光景である。「あそび」によって自己と世界は常に新たに作り直されていくが、その一方で人間の思考力を奪い、自己破壊へと導くのもまた、「あそび」の持つ不可思議な魔力なのである。
 

(慶應義塾大学博士課程、日本学術振興会特別研究員DC1)

 

 
ストアハウスコレクションについて

七字 英輔

 
 上野ストアハウスは、いうまでもなく江古田ストアハウスが前身である。西武池袋線・江古田駅前の文字通り飲食店や青果店が並ぶ小路のビルの5階にあった小さな芝居小屋。「ストアハウス」の名はそれに由来する。上野ストアハウスのオーナー、木村真悟が主宰する「ストアハウスカンパニー」の拠点劇場でもあった。何より、そこで1999年から2006年まで毎年開催されていた「フィジカルシアター・フェスティバル」は、当時の演劇状況の中で、まだ「フィジカルシアター」なる概念が一般的でない時代に異彩を放つ国際演劇祭だった。
 そこで観た韓国、水原の劇団城『アリアリ アラリヨ』やインドネシアのTEATER GARASI『雨に魅せられた一人の男について』の印象が強く残っている。その後、GARASIは静岡の「ふじのくに=世界演劇祭」に招かれるなど、すっかり日本でも馴染みになった。だが、それ以上にこのフェスティバルが毎年、韓国から生きのいい若手の劇団を招聘していたことは称賛されて余りある。そのいちいちについてはここでは触れないが、韓国といえば利賀フェスやアリス・フェスが繰り返し招待していた呉泰錫(劇団木花)やイ・ユンテク(劇団オグ)ばかりが有名だった日本の演劇界に、彼らの後続を担う集団が着実に育っていることを如実に示していた(こんなことを書くのも、私が初めてソウルを訪れた1987年には、大学路の小劇場ではまだ日本の新劇と同様、西欧近代演劇の翻訳上演が専らだったからだ。ちなみに「木花」が大学路に専有劇場を持つのは1990年である〔現在は同場所にはない〕)。
 先行する利賀やタイニイアリスの後追いでありながら、しかし、ストアハウスが創りあげた韓国劇界とのネットワークは独自のものだった。ソウルだけでなく、活動拠点を地方都市に置く劇団を紹介することで、どれだけ我々の韓国演劇への眼が養われたことか。消防法によって江古田が使用できなくなり、2011年に上野に移ってきた後も、いずれはそのネットワークを生かし、新たな挑戦に打って出るだろうことを予想させた。それが実現したのが13年に開催された「ストアハウスコレクション 日韓演劇週間」である。韓国から第5回(03年)に『冬眠』で参加した劇団コルモッキル『鼠』(パク・グニョン作・演出)を招聘、日本からは無名の温泉ドラゴン『birth』(シライケイタ作・演出)を招待した。そしてこれが大成功だった。
 『鼠』は水害に遭って廃墟と化し大量の鼠が跋扈する街で、地下放送を行っている男と妹の二世帯家族の話だ。大洪水で水没した街に食糧は尽きたはずなのに、彼らの母親を含め皆、健康だ。男の妻は妊娠していて、今にも子が産まれそうで、家族は沸き立っている。やがて少年とその父親が彼らの住居へ迷い込んできて、理由が判明する。家族は捕まえた人間を食って生き延びていたのだ。私は初め、少年と父親は巨大化した鼠の擬人化なのだろうと思って観ていたが、作者自らがパンフに「人間狩り」と書いているので、どうもそれは間違いだと気づいた。彼ら「家族」そのものが共食をする鼠に擬せられているのだろう。韓国での初演は15年以上も前だというが、東日本大震災後の日本では、テーマに切実なものが孕まれていた。
『birth』は、社会現象となった「オレオレ詐欺」を扱った男ばかりの四人芝居。初めに舞台中央に置かれた電気冷蔵庫の扉が開いて、そこから男たちが登場してくる。電化製品の胎内くぐりが極めて象徴的だ。やがて初めに出てきたゲイと思しき男二人に、刑務所を出所したばかりの悪い仲間が携帯を使った詐欺を持ちかける。もう一人は彼らに詐欺の手口を教えるコンサルタント。及び腰で掛けた電話が成功し、彼らに大金をもたらすが、しかし、そこには思わぬ事態が待ち受けていた。温泉ドラゴンの名を一躍、国内でも知らしめることになったが、これが機縁となって翌年の『birth』ソウル公演も実現した。
 この年のテーマは「〈生きる〉ことの考察」であったが、昨14年にも「家族を描きながら」とテーマを変えながら、再びコルモッキルと温泉ドラゴンを第2回「日韓演劇週間」に招待した。コルモッキルは、これも99年に初演され、東亜演劇賞を始めとする韓国の主要な賞を総なめした『青春礼賛』(パク・グニョン作・演出。プロデューサーの木村が招聘することを念願にしていたという)、温泉ドラゴンは『桜』(シライケイタ作・演出)、さらに東京を拠点に関西にも進出する劇団、ゲキバカ『男の60分』(柿ノ木タケヲ脚本・演出)が加わった。『青春礼賛』といいながら、崩壊家族の中で酒狂いの父親と暮らす高校生の少年の荒れた生活を描くコルモッキルの芝居は、ダルマストーブや卓袱台といった僅かな小道具が雄弁で、日本のまだ貧しかった60年代を想起させる家庭劇になっていた。『桜』は、23年前に山中の満開に咲く桜の根元で死んだ少女の身に起こった出来事が現在と過去を往還しながら綴られる。見てきたように、コルモッキルも温泉ドラゴンも「ドラマ性」が強い。しかし、ゲキバカは異なる。大の大人がまだそこここに空地があった小学生時代に回帰して舞台の上で思う存分遊ぶのだ。まさに「フィジカルシアター」である。
 今年年頭には、ストアハウスは新たに「マレーシア週間」も行った。マレーシアからフィジカルな演劇とダンスカンパニーを招き、ホストとして、ストアハウスカンパニーも98年初演の『箱―Boxes―』(木村構成・演出)を上演した。いよいよ、ストアハウスが理念とする「フィジカルシアター」が幕を開けたといっていい。今年はさらに「タイ特集」が続き、晩秋には第3回の「日韓演劇週間」で、傑作の誉れが高い劇団ドリームプレイの『アリバイ年代記』(キム・ジェヨブ作・演出)を招くという。「ストアハウスコレクション」から眼が離せない所以である。

ストアハウスコレクション《マレーシア週間 -演劇とダンスの間で-》
DPAC Dance Company『WExplode』
 

ダンスワーク編集長 長谷川 六

 
タイトルは「WE」と「Explode」(爆発する、破裂する)の造語だと考えられる。「E」を大文字にしたところに彼らの気持ちが込められている。
 マレーシアのコンテンポラリーダンスと聞いて見落とせないと考えた。
 2003年に所属していたユネスコ系の日本演劇センター経由で「アジアダンス会議」という企画を文科省に提出し、予算がとれたので、招待国として、マレーシアのRogayah Shaharminが来日、「アジアの中でもダンスの仕事は重要だ。育てたい。」と発言、マレーシアでは、ダンスが盛んであるとアピールした。その前年にリサーチに行ったヴェトナムじゃ民族舞踊のみで、コンテンポラリーダンスというと、「それは何か」と聞かれた経験があるので、興味深かった。
 さて、今回は、「ストアハウスコレクション-マレーシア週間-」として、ストアハウスが企画主催するものだ。『WExplode』は、近代ダンスが金字塔として打ち立てた「内面の輝き」を表出させる部分と、ポストモダンダンスから受け継いだ社会性、概念の提出という重要な要素を兼ね備えたコンテンポラリーダンスである。
 パフォーマーは4名。日常的な服装で登場する。寝そべったりゴロゴロしたりする。そうした中にポップで踊るシーンや日常的なシーンが無差別に表れてくる。それは、秩序や法則に対する若者らしい反論であり、自分たちで秩序を見出していきたいとする方向が見える。乱雑に並べられる踊りや行為は、彼らのいら立ちや不明なことへの探求または抵抗であろう。フランスで、日本で、1960年代に若者によって行動が起こされた為政者への不信と短絡した結論への怒りが、彼らにも伝わっているのではないかと感じられた。
 もちろん創作だが、問題意識の希薄な芸術行為は単なる耽美主義であり、現代ではない。その意味で、大いに影響されるものがあった。マレーシアの社会がこれらのパフォーマンスを受け入れているなら、正しい選択である。ただ、おもちゃなどが用いられ、緊張を解かれる場面も。異端を標榜するのがおもちゃだとするなら安易なアプローチだと思う。
 ダンサーはグレアムやカニンガム、バレエなどのメソドで訓練された近代ダンスのダンサーで、民族的な要素、あるいは独創的な概念は見当たらなかった。なにごとにも壁があるが、ベルリンの壁も破壊された今日、彼らが更なるオリジナリティ、あるいは独特な要素資質を見出し、身体の独創性を生かした作品にたどり着くことは夢ではないだろう。日本人にはない狩猟民族的ばねや軽さが身体に在り。実に魅力的だった。
 ストアハウスからの情報によると、ディレクターのWONG JYH SHYONGは、マレーシアのダマンサラ芸術劇場の芸術監督・振付家。2005年香港専門学校で学士号、03年には振付研究大学、台北芸術国際大学で芸術修士号を取得している人物。ダンサーとしても働いた経験を持ち、現職にある。
 ストアハウスコレクションは、2015年1月21日~25日に開催され、DPAC Dance Company『WExplode』の公演は22・24・25日に上演された。会場は東京都台東区北上野の「上野ストアハウス」
 

ダンスワーク69号 2015年春号 掲載

動画


本編映像